コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

イザベル・ド・ブルゴーニュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イザベル・ド・ブルゴーニュ
Isabelle de Bourgogne
ローマ王妃
在位 1284年2月6日 - 1291年7月15日
別称号 ヴュー・シャトー領主

出生 1270年
死去 1323年8月
フランス王国、シャンブリー
結婚 1284年2月6日
1306年
配偶者 ルドルフ1世
  ノフル領主ピエール9世・ド・シャンブリー
子女 ジャンヌ・ド・シャンブリー
家名 ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公ユーグ4世
母親 ベアトリス・ド・ナヴァール
テンプレートを表示

イザベル・ド・ブルゴーニュ(フランス語:Isabelle de Bourgogne, 1270年 - 1323年8月)、イザベラ・フォン・ブルグント(ドイツ語:Isabella von Burgund)またはエリーザベト(ドイツ語:Elisabeth)は、ローマ王ルドルフ1世の2番目の妃[1]

生涯

[編集]

イザベルはブルゴーニュ公ユーグ4世とその2番目の妃ベアトリスナバラ王テオバルド1世の娘)との間の次女である[1]

イザベルは1272年にフランドル伯ロベール3世の息子シャルル(1266年 - 1277年)と婚約した。しかし、1277年にシャルルは死去した。

1284年2月6日、イザベルはローマ王ルドルフ1世の2度目の妃となった。イザベルは14歳であったのに対し、ルドルフは65歳であった。2人の間に子供は生まれず、1291年7月15日にルドルフは死去した。ルドルフの死後、オーストリア公領はルドルフ1世と最初の妃ゲルトルートとの間の息子アルブレヒト1世ルドルフ2世が継承した。

イザベルは夫の死後ブルゴーニュに戻り、1294年11月20日にヴュー・シャトー領主の地位を与えられた。

1306年、イザベルはノフル領主ピエール9世・ド・シャンブリー(1319年頃没)と再婚した。ピエール9世との間にヌフル領主ジャンヌをもうけた。

脚注

[編集]
  1. ^ a b Philippe Le Bel et la Noblesse Franc-Comtoise, Frantz Funck-Brentano, Bibliothèque de l’École des chartes, Vol. 49 (1888), 9.

外部リンク

[編集]
  • Marek, Miroslav. “A listing of descendants of Hugh IV, Duke of Burgundy”. Genealogy.EU. July 15 2021閲覧。
  • Cawley, Charles, A listing of Dukes of Burgundy and their children, Medieval Lands database (英語), Foundation for Medieval Genealogy
  • Listing of male-line descendants of the Vienne family
  • Listing of mae-line descendants of the Vergy family