イザベッラ・デル・バルツォ
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イザベッラ・デル・バルツォ Isabella Del Balzo | |
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ナポリ王妃 | |
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在位 | 1496年 - 1501年 |
出生 |
1465年6月24日 ヴェノーザ公領、ミネルヴィーノ |
死去 |
1533年5月22日(67歳没) フェラーラ公国、フェラーラ |
埋葬 | フェラーラ公国、フェラーラ、サンタ・カタリナ・マルティーレ教会 |
結婚 | 1486年11月28日 |
配偶者 | ナポリ王フェデリーコ1世 |
子女 |
フェルディナンド ジュリア アルフォンソ チェーザレ イザベッラ |
家名 | デル・バルツォ家 |
父親 | アンドリア公ピエトロ・デル・バルツォ |
母親 | マリーア・ドナータ・オルシーニ |
イザベッラ・デル・バルツォ(Isabella Del Balzo, 1465年6月24日 - 1533年5月22日)は、ナポリ王フェデリーコ1世の2番目の妻。ナポリ王妃。
生涯
[編集]ナポリのフランス系貴族の末裔で、ナポリ王国大司馬を務めたアンドリア公ピエトロ・デル・バルツォ(1487年没)と、その妻のマリーア・ドナータ・オルシーニの間の娘として生まれた。1486年11月28日、当時は王子だったフェデリーコと結婚した。夫は先妻アンナ・ディ・サヴォイアに先立たれており、この結婚は再婚だった。夫は1496年に王位に就いたが、1501年にフランス王ルイ12世とアラゴン王フェルナンド2世によって廃位された。イザベッラは子供たちを連れてイスキア島に避難したが、すぐに夫の後を追ってフランスに亡命し、フランス王室から年金を受けて暮らした。1504年に夫と死別すると、再婚することなく、夫の甥にあたるフェラーラ公アルフォンソ1世の庇護を受けて余生を送った[1]。
子女
[編集]- フェルディナンド(1488年 - 1550年) - カラブリア公、バレンシア副王
- ジュリア(1492年 - 1542年) - 1533年、モンフェッラート侯ジョヴァンニ・ジョルジョと結婚
- アルフォンソ(生没年不明、夭折)
- チェーザレ(生没年不明、夭折)
- イザベッラ(? - 1550年)
引用
[編集]- ^ George Nugent, "Jacquet's Tributes to the Neapolitan Aragonese," The journal of musicology VI/2 (spring 1988), pp. 198-226.