イサベル・フランシスカ・デ・ボルボン
イサベル・フランシスカ Isabel Francisca | |
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ボルボン家 | |
アストゥリアス女公イサベル(1879年) | |
在位 |
1851年12月20日 - 1857年11月28日 1874年12月29日 - 1880年9月11日 |
全名 |
一覧参照
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称号 | アストゥリアス女公 |
出生 |
1851年12月20日 スペイン王国、マドリード王宮 |
死去 |
1931年4月23日(79歳没) フランス共和国、パリ |
埋葬 |
1931年4月25日 フランス共和国、パリ、ペール・ラシェーズ墓地 1991年5月23日(改葬) スペイン、ラ・グランハ宮殿内礼拝堂 |
配偶者 | ガエターノ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ |
父親 | フランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボン |
母親 | イサベル2世 |
イサベル・フランシスカ・デ・ボルボン・イ・ボルボン(スペイン語: Isabel Francisca de Borbón y Borbón, 1851年12月20日 - 1931年4月23日)は、スペインの王族。2度アストゥリアス公(女公)位を授けられた人物である。
生涯
[編集]スペイン女王イサベル2世と王配フランシスコ・デ・アシスの第1子としてマドリード王宮で生まれた。洗礼名はマリア・イサベル・フランシスカ・デ・アシス・クリスティーナ・デ・パウラ・ドミンガ(María Isabel Francisca de Asís Cristina Francisca de Paula Dominga)。カルリスタの動乱と散発する内戦の時代であり、イサベルは生後間もなく、王位継承予定者に与えられるアストゥリアス公(女公)位を授けられた。
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Isabel II con la infanta Isabel(インファンタ・イサベルとイサベル2世)、フェデリコ・デ・マドラーソ画、1852年
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イサベル2世と幼いイサベル王女、フランツ・ヴィンターハルター画、1852年
1857年、弟アルフォンソ(のちのアルフォンソ12世)が誕生すると、イサベルは王位継承順位第2位となり、アルフォンソがアストゥリアス公となった。
1868年、イサベルは両シチリア王家のジルジェンティ伯ガエターノ(フェルディナンド2世の四男)と結婚した。ガエターノは、イサベルの両親といとこ同士であった。彼は精神不安定の症状を抱えており、1871年にルツェルンで自殺した。
1875年に即位した弟アルフォンソはその時点では独身であったため、24歳のイサベル王女が再び王位継承順位1位となった。2度目のアストゥリアス女公時代は、1880年にアルフォンソ12世の第1子マリア・デ・ラス・メルセデスが誕生したことで終わった。幼いマリア・デ・ラス・メルセデス王女がアストゥリアス女公となった。
イサベルは国民に非常に人気があり、尊敬されていたと伝えられている。彼女には子供がなく、再婚せず、共和制成立で王家がフランスへ亡命した1931年、パリで死去した。
1991年、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬されていたイサベルの棺は、フアン・カルロス1世によってラ・グランハ宮殿内礼拝堂へ移葬された。
関連項目
[編集]- 推定相続人
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