イエ・プル
Yeh Pulu | |
イエ・プルの浮き彫り(レリーフ) | |
所在地 |
ブドゥル Banjar Batulumbang[1] |
---|---|
地域 | インドネシア、バリ州ギャニャール県ブラバトゥ郡 |
座標 | 南緯8度31分54秒 東経115度17分35秒 / 南緯8.531667度 東経115.293056度 |
標高 | 175 m (574 ft)[1] |
全長 |
40メートル (130 ft) 浮き彫り 25メートル (82 ft) |
幅 | 10メートル (33 ft) |
面積 | 400平方メートル (4,300 sq ft)[1] |
高さ | 浮き彫り 2メートル (6.6 ft) |
歴史 | |
資材 | 砂岩壁面 |
完成 | 14-15世紀頃[2] |
追加情報 | |
発見 | ウブド地方官吏(プンガワ) |
イエ・プル(尼: Yeh Pulu〈イエ・プル寺院遺跡、尼: Situs pura Yeh Pulu[3]〉)は、インドネシアのバリ州(バリ島)ギャニャール県ブラバトゥ郡のブドゥルにあるヒンドゥー教遺跡である。
イエ・プルの遺跡は、西側に水源となる[2]プタヌ川のある田地に囲まれる。名称にあるイエ (Yeh) は「水」、プル (Pulu) は「樽」の意で、地内西側で発見された湧水が[4]、樽(尼: Gentong)状の容器に覆われていたことに由来する[1][3]。
歴史
[編集]イエ・プルの遺跡の浮き彫り(レリーフ)に見られる様式や描写により、作成された時代は、14-15世紀[2]ないしマジャパヒト王国(13-15世紀[1])後期とされるほか[5]、14世紀[3][4]もしくはマジャパヒトがバリに侵攻する前の古代バリ王国時代の13世紀頃にさかのぼるともいわれる[6]。
イエ・プルは、オランダ植民地(オランダ領東インド)時代である1925年、ウブドのプンガワ(地方官吏)により初めて発見され[2]、オランダ政府に報告された後、間もなくオランダ人美術家(画家[7])ニーウェンカンプにより公式報告書として記された[1][3]。1929年には、遺跡保存の一環として[2]、オランダのインドネシア考古学者W・F・ストゥッテルヘイム[8]を中心に再調査がなされた。その後、1949年および1953年に修復され、砂岩の壁面上方の田地からの流水に対する保全が施された[4]。
構成
[編集]岩壁の延長約25メートル、高さ2メートルの範囲に[2][9]、奥行約50センチメートル(30-60cm[10])の多様な浮き彫りが見られる[1]。それらはヒトおよび動物・植物が象徴的に描写され、多くはワヤン・クリの影絵人形の意匠に似るとされるが[1]、諸神や王らの叙事詩を描いた15世紀のカマサン様式のワヤン (Wayang) と異なり、王女のような貴女の姿も見られるものの、主に日常を象徴的に賛美する場面が多く描かれる[11]。
岩壁の浮き彫りは、北から南に向けて同面に刻まれており[1]、描かれる意匠は、6つ[3]ないし9つの場面に分けられる[1]。一連の浮き彫りを神クリシュナの物語と考える説があるが、描かれた浮き彫りとの関連は明確でない[12]。
- 壁面の北の端には、カヨナン(kayonan〈グヌンガン〉)の木の形象の傍らに、右手を上げて立つ男像が描かれ、この片手を上げた立像はクリシュナを表すものといわれる[13]。
- 次いで、天秤棒を担ぎ2つの壺を運ぶ男像があり、その前方(南側)を歩く女像は、装飾品を身に着け、頭部に冠状の装飾の一部が認められる[14]。
- 次の場面は4人の彫像からなり、南向きに屈んで座るターバンを着けた横向きの彫像の前方に、鍬を肩に担いで立つ男像が、対面に座る女像に向けて右手を差し出している。対する女像は男像のほうに右手を向け、その座る女像の下に3匹のサルが遊ぶ。また、南背後にもう1人の女像が右手を上げるように立つ[16]。
- 獲物を狩る場面では、ウマに乗り右手にナイフ状の武器を持つ男像の前に、足を広げて槍を投げようとする男像と、前方に、トラと見られる動物に右手を噛まれながら戦う男像が描かれる[18]。
- 次に、獲物2頭のブタを棒に足を結び、逆さに吊るして運ぶ前後2人の男像がある[19]。
- 最後の浮き彫りは、長方形の台座に座るガネーシャの神像である[19]。
これらの浮き彫りのある壁面の最端部に壁龕(石窟)があり[9]、幅約9メートルで、中央の支柱で分かれ、高さ・奥行はともに2メートルほどである。瞑想の場所であったとされ[1]、1343年頃、マジャパヒト王国との戦いに敗れる14世紀のベダフル (Bedaulu, Bendahulu〈ブドゥル〉) 王が瞑想したとする伝承がある[2][4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), p. 27
- ^ a b c d e f g “Yeh Pulu: Ancient Relief, Full Of History In Gianyar.” (英語). Visit Bali. PT Pusat Informasi Pariwisata Bali. 2022年10月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g artanegara (2020年1月27日). “Situs pura Yeh Pulu” (インドネシア語). Indonesiana Platform Kebudayaan. Balai Pelestarian Cagar Budaya Jawa Tengah, Direktorat Jenderal Kebudayaan. 2022年10月8日閲覧。
- ^ a b c d “Yeh Pulu Temple” (英語). Ubud.id. 2022年10月8日閲覧。
- ^ Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), pp. 25 32-35
- ^ Mudra Vol. 32 No. 3 (2017), pp. 278 280
- ^ Mudra Vol. 32 No. 3 (2017), p. 280
- ^ “ヴィレム・フレデリク ストゥッテルヘイム”. コトバンク. 2022年10月8日閲覧。
- ^ a b Mudra Vol. 32 No. 3 (2017), p. 278
- ^ Mudra Vol. 32 No. 3 (2017), pp. 278-279
- ^ Mudra Vol. 32 No. 3 (2017), pp. 278-281
- ^ Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), p. 32
- ^ Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), pp. 27-28 30 32
- ^ Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), pp. 28 30
- ^ Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), pp. 28 30-31
- ^ Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), pp. 28-29 31
- ^ Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), pp. 29 31
- ^ Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), pp. 29-31
- ^ a b c Kalpataru Vol. 30 No. 1 (2021), pp. 30-31
参考文献
[編集]- I Wayan Adnyana; I Nengah Sudika Negara; Desi In Diana Sari; A.A. Bagus Udayana (2017-10-20). “Exploring Yeh Pulu Relief (An Iconography Approach)” (PDF). Mudra: Jurnal Seni Budaya (Institut Seni Indonesia Denpasar) 32 (3): 277-282. doi:10.31091/mudra.v32i3.176. ISSN 0854-3461 2022年10月8日閲覧。.
- Kadek Dedy Prawirajaya Rajeg; Heri Purwanto (2021-05-31). “The Relief Art Styles of Yeh Pulu in Gianyar Regency, Bali” (PDF). Kalpataru: Majalah Arkeologi (Pusat Penelitian Arkeologi Nasional) 30 (1): 25-38. doi:10.24832/kpt.v30i1.803 2022年10月8日閲覧。.