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イエン・チリト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イエン・チリト
អៀង ធីរិទ្ធ
Ieng Thirith
生年月日 (1932-03-10) 1932年3月10日
出生地 フランス領インドシナ連邦の旗 フランス領インドシナ
カンボジア王国の旗 カンボジア王国バタンバン州
没年月日 (2015-08-22) 2015年8月22日(83歳没)
死没地 カンボジアの旗 カンボジアパイリン州
所属政党 カンプチア共産党
クメール・ルージュ
配偶者 イエン・サリ
親族 キュー・ポナリー(姉)

民主カンプチアの旗 民主カンプチア
社会問題相
内閣 キュー・サムファン内閣
在任期間 1979年12月 - 1982年6月22日
国家幹部会議長 キュー・サムファン

民主カンプチアの旗 民主カンプチア
社会問題相
内閣 ポル・ポト内閣
在任期間 1976年4月 - 1979年12月
国家幹部会議長 キュー・サムファン

内閣 ペン・ヌート内閣
在任期間 1973年12月3日 - 1976年4月
国家元首 ノロドム・シハヌーク
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イエン・チリトクメール語: អៀង ធីរិទ្ធ / Ieng Thirith, 1932年3月10日 - 2015年8月22日)は、カンボジア政治家民主カンプチア政権で社会問題相を務めた。

クメール・ルージュの指導者の一員であると同時に、イエン・サリの妻。イエン・シリトイエン・ティリトとも。

経歴

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イエン・チリトは1932年、フランスの保護国のカンボジアのバタンバン州に、裁判官の娘として生まれた[1]。姉には、後にポル・ポトの最初の妻となるキュー・ポナリーがいる。イエン家は王族とも親しい上流中の上流階級であった[2]

他のクメール・ルージュの指導者の多くと同じく高学歴で、当時のカンボジアの最高学府であるリセ・シソワット英語版を卒業し[3]、奨学金でパリに留学してシェークスピアを研究した[4]。夫イエン・サリとは国内の学生時代に婚約し、1951年夏にパリ15区役所で結婚している[5]

帰国後は、自らカンボジア初の英語教育校であるクメール英国高校を設立し、校長として教師生活を送った[6]。しかし、1963年2月の暴動を機に左翼への弾圧が強化されると、夫イエン・サリは地下に潜り、1965年にはチリトも後を追った[7]

右派ロン・ノル政権との内戦中、1973年12月3日にカンプチア王国民族連合政府人民教育・青年相に任命される[8]

1976年4月14日に民主カンプチア政権が樹立されると、ポル・ポト内閣の社会問題相に就任し[9]、政権運営に深く関与した。このため、当政権による大量虐殺に責任を負うことになる。

2007年11月12日、夫と共にプノンペン南部の自宅で逮捕され、カンボジア特別法廷において刑事責任が問われることとなった[10]。しかし2012年9月13日、認知症のために「訴訟能力がない」として、訴追せず身柄を釈放された[11]

2015年8月22日、カンボジア西部のパイリンで死去[12]。83歳没。

脚注

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  1. ^ 山田(2004年)、17ページ。
  2. ^ 姉妹の父は、シハヌーク国王の祖父母の家族と親しく、のちに王女の一人と出奔した。山田(2004年)、17ページ。
  3. ^ 山田(2004年)、18-19ページ。
  4. ^ 山田(2004年)、91-92ページ。
  5. ^ チャンドラー(1994年)、62-63ページ。
  6. ^ 山田(2004年)、26ページ、201ページ。
  7. ^ 山田(2004年)、30ページ、200ページ。
  8. ^ 1973年 インドシナ 重要日誌”. アジア動向データベース. ジェトロ・アジア経済研究所. 2013年8月9日閲覧。
  9. ^ 山田(2004年)、98ページ。
  10. ^ “ポト派元最高幹部起訴 カンボジア特別法廷,大量虐殺などで4人”. 東京新聞 TOKYO Web (中日新聞社). (2010年9月17日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010091702000037.html 2010年9月17日閲覧。 [リンク切れ]
  11. ^ “イエン・チリト被告釈放へ カンボジア特別法廷”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2012年9月13日). オリジナルの2012年9月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120914012407/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120913/asi12091320300002-n1.htm 
  12. ^ イエン・チリト氏死去=ポト派元最高幹部-カンボジア 時事ドットコム 2015年8月22日

参考文献

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