イェルネイ・コピタル
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イェルネイ・コピタル(Jernej Kopitar, 1780年8月21日 - 1844年8月11日)は、スロベニアの文献学者、言語学者[1]。
経歴
[編集]オーストリア帝国のヴォディツェ郊外の村で生まれた。リュブリャナのギムナジウムに通い、その後ウィーンに赴き法学を学んだ[2]。
貴族のジグムント・ゾイス家の家庭教師になる。それからゾイスの秘書や司書になった。このころにアントン・トマシゥ・リンハルト、ヴァレンティン・ヴォドニックらと親好を結んだ[2]。オーストリア帝国のウィーン宮廷図書館に勤め、その後、館長に就任した。また、スラブ語や近代ギリシャ語書籍の国家検閲官になった[2]。
スロベニア語最古の文献とされるフライジンク写本の研究書や、ドイツ語で書かれたスロベニア語初の文法書(1808年、リュブリャナ)[3]を刊行した。1813年、ウィーンでヴーク・カラジッチと出会い、セルビア語改革の助言を与えるほか、セルビア民謡の収集を支援した[2]。
1817年にリュブリャナにある学校で教員になる。それからスロベニア語の正書法改革に関わった[2]。
ウィーンで死去した。
著作
[編集]- Grammatik der slavischen Sprache in Krain, Kärnten und Steyermark
脚注
[編集]- ^ Jernej Kopitar (si)
- ^ a b c d e Kopitar, Jernej
- ^ 田中一生「コピタル」柴宜弘・伊東孝之・南塚信吾・直野敦・萩原直監修『東欧を知る事典(新版)』平凡社、2015年、156ページ。ISBN 978-4-582-12648-8