イェジ・ユゼフ・ポトツキ
表示
イェジ・ユゼフ・ポトツキ Jerzy Józef Potocki | |
---|---|
出生 |
1889年1月29日 オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン |
死去 |
1961年9月10日(72歳没) スイス、ジュネーヴ |
配偶者 | スサナ・デ・イトゥレゲイ |
家名 | ポトツキ家 |
父親 | ロマン・ポトツキ |
母親 | エルジュビェタ・ラジヴィウヴナ |
イェジ・ユゼフ・ヘンリク・ポトツキ(Jerzy Józef Henryk Potocki、1889年1月29日 - 1961年9月10日)は、ポーランドの貴族、外交官。伯爵。トルコ駐在大使、アメリカ合衆国駐在大使を歴任した。
経歴
[編集]ロマン・ポトツキ伯爵とその妻のエルジュビェタ・ラジヴィウヴナ公女(1861年 - 1950年)の間の次男として生まれた[1]。父方の祖父はツィスライタニエン首相のアルフレト・ユゼフ・ポトツキ、母方の祖父はドイツ皇帝の高級副官アントニ・ヴィルヘルム・ラジヴィウである。1930年にスペイン人のスサナ・デ・イトゥレゲイ(Suzana de Ytureguei y Orbegoso, 1899年 - 1989年)と結婚し、息子を1人もうけている[1]。
オーストリア=ハンガリー(二重帝国)の崩壊後、ポーランド共和国の市民となった。1919年1月8日にポーランド軍に入隊し騎兵大尉に任命され、参謀本部に属した後、ブダペストのポーランド大使館に駐在武官として派遣された。1933年にイタリア駐在大使に任命されたが、四カ国協定(Four-Power Pact)の締結に反発して辞退した。1933年より1936年までトルコ駐在大使を、1936年より1940年までアメリカ合衆国駐在大使を務めた。1945年にポーランドが共産化された後は、スイスで亡命生活を送った[2]。
脚注
[編集]- ^ a b Minakowski, Marek Jerzy. “Jerzy Józef Henryk Potocki z Podhajec h. Pilawa (Srebrna) (ID: psb.23933.11)”. 4 April 2012閲覧。
- ^ Encyclopaedia Britannica: Volume 23, 1973, S. 776