アーヴィング・ラムゼー・ワイルズ
アーヴィング・ラムゼー・ワイルズ Irving Ramsey Wiles | |
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生誕 |
1861年4月8日 USA,ユーティカ |
死没 |
1948年7月29日 USA,ロングアイランド |
アーヴィング・ラムゼー・ワイルズ(Irving Ramsey Wiles、1861年4月8日 - 1948年7月29日)はアメリカ合衆国の画家である。女性の肖像画を得意とした。
略歴
[編集]ニューヨーク州のユーティカで風景画家のレミュエル・ワイルズ(Lemuel M. Wiles:1826–1905)の息子に生まれた[1]。父親から美術を学んだ後、マサチューセッツの学校で学び、1879年から1881年の間はアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークでジェームズ・キャロル・ベックウィズやウィリアム・メリット・チェイスに学んだ。20歳になってパリで美術を学ぶことに決め、パリではアカデミー・ジュリアンやアカデミー・コラロッシで学び、人気のある肖像画家のカロリュス=デュランにも学んだ。2年ほどパリで学び1884年の春、アメリカに帰国した。
ニューヨークで、「Scribner's Magazine」や「Harper's Magazine」、「The Century Magazine」といった雑誌の挿絵画家として働き始めたが、すぐに肖像画家として人気を得ることになった。1890年代に入るとアメリカを代表する肖像画家の一人と評価された。1901年のナショナル・アカデミー・オブ・デザインの展覧会に女優のジュリア・マーロウの肖像画を出展し、新聞などから好意的な批評を得た。政治家や上流階級の人々から肖像画の注文を受けるようになった。
ウィリアム・メリット・チェイスと同じように、美術教師としても活動し、1895年に父親と夏の野外絵画教室を開いた後、野外絵画教室を開き、ロングアイランドやニューヨークで個人美術教師も務めた。ニューヨークの美術学校(後のパーソンズ美術大学)の教師も務めた。
アメリカ水彩画家協会やアメリカ芸術家協会(Society of American Artists)のメンバーになり、1897年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの正会員に選ばれた[2]。
作品
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Juliet Inness-画家ジョージ・イネスの孫娘
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ジュリア・マーロウ-女優
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'Memories'
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William Sims-軍人
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'Corner Table'
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'The Loiterers'
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「Scribner's Magazine」の挿絵
参考文献
[編集]- ^ American Art Annual, Volume 5. MacMillan Company. (1905). pp. 125
- ^ Chase, William Merritt. "Letter to Artists," 467. Described in Painting Professionals: Women Artists and the Development of Modern American Art, 1870-1930, 84 (Swinth, Kirsten; ISBN 0-8078-4971-5).
Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.