アーティス・ギルモア
2011年のギルモア | |
基本情報 | |
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愛称 | The A-Train |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1949年9月21日(75歳) |
出身地 | フロリダ州チプリー |
身長 | 218cm (7 ft 2 in) |
体重 | 109kg (240 lb) |
キャリア情報 | |
高校 |
ロールハック高等学校 カーバー高等学校 |
大学 |
ガードナー=ウェブ大学 ジャクソンビル大学 |
NBAドラフト | 1971年 / 7巡目 / 全体117位[1] |
シカゴ・ブルズから指名 | |
プロ選手期間 | 1971年–1989年 |
ポジション | C |
シュート | 左 |
背番号歴 | 53 |
経歴 | |
1971–1976 | ケンタッキー・カーネルズ |
1976–1982 | シカゴ・ブルズ |
1982–1987 | サンアントニオ・スパーズ |
1987 | シカゴ・ブルズ |
1988 | ボストン・セルティックス |
1988–1989 | アリモ・ボローニャ |
受賞歴 | |
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ABA、NBA通算成績 | |
得点 | 24,941 (18.8 ppg) |
リバウンド | 16,330 (12.3 rpg) |
ブロック | 3,178 (2.4 apg) |
Stats Basketball-Reference.com | |
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) |
アーティス・ギルモア(Artis Gilmore, 1949年9月21日 - )は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。ポジションはセンター。1970年代から80年代にかけてABA及びNBAを代表するビッグマンとして活躍し、2011年にバスケットボール殿堂入りを果たした。
ニックネームのThe A-Trainは、670試合連続出場を達成した彼の頑丈さに由来している。
経歴
[編集]大学時代
[編集]フロリダ州チップリー出身のギルモアは、ガードナー・ウェブ短期大学で2年間プレーした後ジャクソンビル大学に転校した。ジャクソンビル大学では2年間で平均24.3得点22.7リバウンドを記録し、NCAA史上5人しかいないキャリア平均20得点20リバウンドの達成者となった。また、両方の年でNCAAディビジョンⅠリバウンド王を獲得しており、キャリア平均22.7リバウンドは今なおNCAA史上1位の記録である。1970年にはチームを初のNCAAトーナメント決勝に導いたが、シドニー・ウィックス率いるUCLAに敗北した。最終学年時の1971年にはオールアメリカ1stチームに選ばれている。
ABA
[編集]1971年、大学を卒業したギルモアはABA入りすることを表明し、10年250万ドルの契約でケンタッキー・カーネルズに入団した(NBAのシカゴ・ブルズからも全体117位指名を受けている)。
ギルモアは1年目から支配的な活躍を見せ、平均23.8得点17.8リバウンドの成績でリバウンド王を獲得するとともに、カーネルズをリーグトップの68勝に導いた。ギルモアはジュリアス・アービングを抑えて新人王に輝き、さらにルーキーながらMVPを受賞した。その他オールスター、オールABA1stチーム、オールルーキー1stチームにも名を連ねた。チームはプレーオフのディビジョン準決勝で敗退している。
2年目の1972-73シーズン、ギルモアは平均20.8得点17.6リバウンドで2年連続のリバウンド王に輝いた。ダン・イッセルとギルモアを擁したカーネルズは56勝を記録して2年ぶりのファイナル進出を果たしたが、インディアナ・ペイサーズに3勝4敗で屈した。翌1973-74シーズンには自己最高の平均18.3リバウンドを記録し、3年連続リバウンド王受賞を達成した。また、オールスターでは18得点13リバウンド4ブロックをあげてMVPを獲得している。
1974-75シーズン、ギルモアはキャリアで初めてリバウンド王を逃すも、平均23.6得点16.2リバウンドの好成績をあげた。カーネルズはリーグ2位の58勝を記録してファイナルに進出し、インディアナ・ペイサーズを4勝1敗で破って初優勝を果たした。ギルモアはファイナル平均25.0得点21.0リバウンド、シリーズ最終戦では28得点31リバウンドと圧巻のパフォーマンスを見せてプレーオフMVPを受賞した。
ABAでのラストシーズンとなった1975-76シーズン、ギルモアは平均24.6得点15.5リバウンドで自身4度目のリバウンド王を獲得した。しかしシーズン前にダン・イッセルをトレードで失ったカーネルズは46勝に留まり、プレーオフでも準決勝で敗退した。シーズン終了後、ABAとNBAの合併に伴ってカーネルズは解散した。
ギルモアはABAでプレーした5年間で平均22.3得点17.1リバウンド3.4ブロック、フィールドゴール成功率.557を記録した。通算7,169リバウンドはABA史上2位、1,431ブロックは同1位の数字である。また、全てのシーズンでオールスターとオールABA1stチームに選ばれ、オールディフェンシブ1stチームにも4年連続で名を連ねた。ギルモアはメル・ダニエルズやジュリアス・アービングと並んでABA史上最重要選手の1人と見なされており、1997年に発表されたABAオールタイムチームには満票で選出されている。
NBA
[編集]1976年、ギルモアは元ABA選手を対象としたエクスパンション・ドラフトにおいて全体1位指名を受けシカゴ・ブルズに入団した。NBA2年目の1977-78シーズンには平均22.9得点13.1リバウンドの好成績でオールスターに選ばれ、オールディフェンシブ2ndチーム入りも果たすなど、NBAでもリーグ屈指のビッグマンとしての地位を確立した。翌1978-79シーズンはNBAで自己最高となる平均23.7得点を記録したが、1979-80シーズンに怪我で34試合を欠場し、プロデビュー以来の連続フル出場が8年で途切れた。
1980-81シーズン、完全復活したギルモアは平均17.9得点10.1リバウンドでオールスターに復帰し、チームをプレーオフのカンファレンス準決勝に導いた。また、リーグ首位のフィールドゴール成功率.670を記録し、この年から4年連続で成功率1位となった。その後もう1シーズンをブルズでプレーし、1982年にサンアントニオ・スパーズに移籍した。ブルズでは7シーズンで平均19.3得点11.1リバウンドを記録し、オールスターに4度選出された。
スパーズ1年目の1982-83シーズン、ギルモアは平均18.0得点12.0リバウンドをあげ、ジョージ・ガービンとともにチームをカンファレンス決勝に導いた。以降もスパーズの大黒柱として安定した成績を残し続け、1986年にはプロ通算11度目となるオールスター出場を果たした。その後1987年にトレードで古巣シカゴ・ブルズに復帰し、シーズン途中でボストン・セルティックスに移籍した。1987-88シーズン終了後、ギルモアはNBAを去ってイタリアのプロリーグに移り、1シーズンプレーした後現役を引退した。
ABAとNBAを合算した成績は、1,329試合の出場で通算24,941得点16,330リバウンド3,178ブロック(平均18.8得点12.3リバウンド2.4ブロック)、フィールドゴール成功率.582であった。生涯通算20,000得点15,000リバウンドを達成した選手はギルモアを含め史上6人しかいない。また、NBAで記録したフィールドゴール成功率.599は史上5位(引退選手の中では1位)の数字である。
2011年、ギルモアはバスケットボール殿堂入りを果たした。
個人成績
[編集]* | リーグ1位 |
太字 | キャリアハイ |
† | ABAチャンピオン |
レギュラーシーズン
[編集]Season | Team | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1971-72 | KEN | 84 | – | 43.6 | .598* | – | .646 | 17.8* | 2.7 | – | 5.0 | 23.8 |
1972-73 | 84 | – | 41.7 | .559* | .500 | .643 | 17.6* | 3.5 | – | 3.1 | 20.8 | |
1973-74 | 84 | – | 41.7* | .493 | .000 | .667 | 18.3* | 3.9 | 0.7 | 3.4 | 18.7 | |
1974-75† | 84 | – | 41.6* | .580 | .500 | .696 | 16.2 | 2.5 | 0.8 | 3.1 | 23.6 | |
1975-76 | 84 | – | 39.1 | .552 | – | .682 | 15.5* | 2.5 | 0.7 | 2.4 | 24.6 | |
1976–77 | CHI | 82 | – | 35.1 | .522 | – | .660 | 13.0 | 2.4 | 0.5 | 2.5 | 18.6 |
1977–78 | 82 | – | 37.4 | .559 | – | .704 | 13.1 | 3.2 | 0.5 | 2.2 | 22.9 | |
1978–79 | 82 | – | 39.8 | .575 | – | .739 | 12.7 | 3.3 | 0.6 | 1.9 | 23.7 | |
1979–80 | 48 | – | 32.7 | .595 | – | .712 | 9.0 | 2.8 | 0.6 | 1.2 | 17.8 | |
1980–81 | 82 | – | 34.5 | .670* | – | .705 | 10.1 | 2.1 | 0.6 | 2.4 | 17.9 | |
1981–82 | 82 | 82 | 34.1 | .652* | 1.000 | .768 | 10.2 | 1.7 | 0.6 | 2.7 | 18.5 | |
1982–83 | SAS | 82 | 82 | 34.1 | .626* | .000 | .740 | 12.0 | 1.5 | 0.5 | 2.3 | 18.0 |
1983–84 | 64 | 59 | 31.8 | .631* | .000 | .718 | 10.3 | 1.1 | 0.6 | 2.1 | 15.3 | |
1984–85 | 81 | 81 | 34.0 | .623 | .000 | .749 | 10.4 | 1.6 | 0.5 | 2.1 | 19.1 | |
1985–86 | 71 | 71 | 33.7 | .618 | .000 | .701 | 8.5 | 1.4 | 0.5 | 1.5 | 16.7 | |
1986–87 | 82 | 74 | 29.3 | .597 | – | .680 | 7.1 | 1.8 | 0.5 | 1.2 | 11.4 | |
1987–88 | CHI | 24 | 23 | 15.5 | .513 | – | .514 | 2.6 | 0.4 | 0.2 | 0.5 | 4.2 |
BOS | 47 | 4 | 11.1 | .574 | – | .527 | 3.1 | 0.3 | 0.2 | 0.4 | 3.5 | |
Career | 1329 | 476 | 35.5 | .582 | .150 | .698 | 12.3 | 2.3 | 0.6 | 2.4 | 18.8 | |
All-Star | 11 | 2 | 21.4 | .609 | – | .642 | 7.1 | 1.3 | 0.7 | 1.2 | 10.7 |
プレーオフ
[編集]Year | Team | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1972 | KEN | 6 | – | 47.5* | .571 | .000 | .711 | 17.7 | 4.2 | – | – | 21.8 |
1973 | 19 | – | 41.1 | .544 | – | .626 | 13.7 | 3.9 | – | – | 19.0 | |
1974 | 8 | – | 43.0 | .559 | – | .576 | 18.6* | 3.5 | 0.9 | 3.8* | 22.5 | |
1975† | 15 | – | 45.3 | .539 | – | .772 | 17.6* | 2.5 | 1.0 | 2.1 | 24.1 | |
1976 | 10 | – | 39.0 | .608* | – | .757 | 15.2* | 1.9 | 1.1 | 3.6* | 24.2 | |
1977 | CHI | 3 | – | 42.0 | .475 | – | .783 | 13.0 | 2.0 | 1.0 | 2.7 | 18.7 |
1981 | 6 | – | 41.2 | .583 | – | .691 | 11.2 | 2.0 | 1.0 | 2.8* | 18.0 | |
1983 | SAS | 11 | – | 36.5 | .576 | – | .696 | 12.9 | 1.6 | 0.8 | 3.1 | 16.7 |
1985 | 5 | 5 | 37.0 | .558 | – | .689 | 10.0 | 1.4 | 0.4 | 1.4 | 17.8 | |
1986 | 3 | 3 | 35.7 | .667 | .000 | .571 | 6.0 | 1.0 | 2.3 | 0.3 | 13.3 | |
1988 | BOS | 14 | 0 | 6.1 | .500 | – | .500 | 1.4 | 0.1 | 0.0 | 0.3 | 1.1 |
Career | 100 | 8 | 36.3 | .561 | .000 | .688 | 12.7 | 2.3 | 0.8 | 2.2 | 17.7 |