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アーティス・ギルモア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アーティス・ギルモア
Artis Gilmore
2011年のギルモア
基本情報
愛称 The A-Train
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1949-09-21) 1949年9月21日(75歳)
出身地 フロリダ州の旗 フロリダ州チプリー英語版
身長 218cm (7 ft 2 in)
体重 109kg (240 lb)
キャリア情報
高校 ロールハック高等学校
カーバー高等学校
大学 ガードナー=ウェブ大学英語版
ジャクソンビル大学英語版
NBAドラフト 1971年 / 7巡目 / 全体117位[1]
プロ選手期間 1971年–1989年
ポジション C
シュート
背番号歴 53
経歴
19711976ケンタッキー・カーネルズ
19761982シカゴ・ブルズ
19821987サンアントニオ・スパーズ
1987シカゴ・ブルズ
1988ボストン・セルティックス
1988–1989アリモ・ボローニャ
受賞歴
  • ABAチャンピオン (1975)
  • ABAプレーオフMVP (1975)
  • ABAシーズンMVP (1972)
  • NBAオールスター (1978, 1979, 1981-1983, 1986)
  • 5× ABAオールスター (1972-1976)
  • ABAオールスターゲームMVP (1974)
  • 5× オールABAファーストチーム (1972-1976)
  • 4× ABAオールディフェンシブファーストチーム (1973-1976)
  • NBAオールディフェンシブセカンドチーム (1978)
  • ABA新人王 (1972)
  • ABAオールルーキーファーストチーム (1972)
  • 4× ABAリバウンド王 (1972-1974, 1976)
  • ABAオールタイムチーム
  • オールアメリカン・コンセンサスファーストチーム (1971)
  • オールアメリカンセカンドチーム - AP, NABC, UPI
  • NCAAリバウンド王 (1970, 1971)
  • パレード誌オールアメリカンサードチーム (1967)
ABA、NBA通算成績
得点 24,941 (18.8 ppg)
リバウンド 16,330 (12.3 rpg)
ブロック 3,178 (2.4 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)

アーティス・ギルモアArtis Gilmore, 1949年9月21日 - )は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。ポジションはセンター。1970年代から80年代にかけてABA及びNBAを代表するビッグマンとして活躍し、2011年にバスケットボール殿堂入りを果たした。

ニックネームのThe A-Trainは、670試合連続出場を達成した彼の頑丈さに由来している。

経歴

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大学時代

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フロリダ州チップリー出身のギルモアは、ガードナー・ウェブ短期大学で2年間プレーした後ジャクソンビル大学に転校した。ジャクソンビル大学では2年間で平均24.3得点22.7リバウンドを記録し、NCAA史上5人しかいないキャリア平均20得点20リバウンドの達成者となった。また、両方の年でNCAAディビジョンⅠリバウンド王を獲得しており、キャリア平均22.7リバウンドは今なおNCAA史上1位の記録である。1970年にはチームを初のNCAAトーナメント決勝に導いたが、シドニー・ウィックス率いるUCLAに敗北した。最終学年時の1971年にはオールアメリカ1stチームに選ばれている。

ABA

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1971年、大学を卒業したギルモアはABA入りすることを表明し、10年250万ドルの契約でケンタッキー・カーネルズに入団した(NBAシカゴ・ブルズからも全体117位指名を受けている)。

ギルモアは1年目から支配的な活躍を見せ、平均23.8得点17.8リバウンドの成績でリバウンド王を獲得するとともに、カーネルズをリーグトップの68勝に導いた。ギルモアはジュリアス・アービングを抑えて新人王に輝き、さらにルーキーながらMVPを受賞した。その他オールスター、オールABA1stチーム、オールルーキー1stチームにも名を連ねた。チームはプレーオフのディビジョン準決勝で敗退している。

2年目の1972-73シーズン、ギルモアは平均20.8得点17.6リバウンドで2年連続のリバウンド王に輝いた。ダン・イッセルとギルモアを擁したカーネルズは56勝を記録して2年ぶりのファイナル進出を果たしたが、インディアナ・ペイサーズに3勝4敗で屈した。翌1973-74シーズンには自己最高の平均18.3リバウンドを記録し、3年連続リバウンド王受賞を達成した。また、オールスターでは18得点13リバウンド4ブロックをあげてMVPを獲得している。

1974-75シーズン、ギルモアはキャリアで初めてリバウンド王を逃すも、平均23.6得点16.2リバウンドの好成績をあげた。カーネルズはリーグ2位の58勝を記録してファイナルに進出し、インディアナ・ペイサーズを4勝1敗で破って初優勝を果たした。ギルモアはファイナル平均25.0得点21.0リバウンド、シリーズ最終戦では28得点31リバウンドと圧巻のパフォーマンスを見せてプレーオフMVPを受賞した。

ABAでのラストシーズンとなった1975-76シーズン、ギルモアは平均24.6得点15.5リバウンドで自身4度目のリバウンド王を獲得した。しかしシーズン前にダン・イッセルをトレードで失ったカーネルズは46勝に留まり、プレーオフでも準決勝で敗退した。シーズン終了後、ABAとNBAの合併に伴ってカーネルズは解散した。

ギルモアはABAでプレーした5年間で平均22.3得点17.1リバウンド3.4ブロック、フィールドゴール成功率.557を記録した。通算7,169リバウンドはABA史上2位、1,431ブロックは同1位の数字である。また、全てのシーズンでオールスターとオールABA1stチームに選ばれ、オールディフェンシブ1stチームにも4年連続で名を連ねた。ギルモアはメル・ダニエルズやジュリアス・アービングと並んでABA史上最重要選手の1人と見なされており、1997年に発表されたABAオールタイムチームには満票で選出されている。

NBA

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1976年、ギルモアは元ABA選手を対象としたエクスパンション・ドラフトにおいて全体1位指名を受けシカゴ・ブルズに入団した。NBA2年目の1977-78シーズンには平均22.9得点13.1リバウンドの好成績でオールスターに選ばれ、オールディフェンシブ2ndチーム入りも果たすなど、NBAでもリーグ屈指のビッグマンとしての地位を確立した。翌1978-79シーズンはNBAで自己最高となる平均23.7得点を記録したが、1979-80シーズンに怪我で34試合を欠場し、プロデビュー以来の連続フル出場が8年で途切れた。

1980-81シーズン、完全復活したギルモアは平均17.9得点10.1リバウンドでオールスターに復帰し、チームをプレーオフのカンファレンス準決勝に導いた。また、リーグ首位のフィールドゴール成功率.670を記録し、この年から4年連続で成功率1位となった。その後もう1シーズンをブルズでプレーし、1982年にサンアントニオ・スパーズに移籍した。ブルズでは7シーズンで平均19.3得点11.1リバウンドを記録し、オールスターに4度選出された。

スパーズ1年目の1982-83シーズン、ギルモアは平均18.0得点12.0リバウンドをあげ、ジョージ・ガービンとともにチームをカンファレンス決勝に導いた。以降もスパーズの大黒柱として安定した成績を残し続け、1986年にはプロ通算11度目となるオールスター出場を果たした。その後1987年にトレードで古巣シカゴ・ブルズに復帰し、シーズン途中でボストン・セルティックスに移籍した。1987-88シーズン終了後、ギルモアはNBAを去ってイタリアのプロリーグに移り、1シーズンプレーした後現役を引退した。

ABAとNBAを合算した成績は、1,329試合の出場で通算24,941得点16,330リバウンド3,178ブロック(平均18.8得点12.3リバウンド2.4ブロック)、フィールドゴール成功率.582であった。生涯通算20,000得点15,000リバウンドを達成した選手はギルモアを含め史上6人しかいない。また、NBAで記録したフィールドゴール成功率.599は史上5位(引退選手の中では1位)の数字である。

2011年、ギルモアはバスケットボール殿堂入りを果たした。

個人成績

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* リーグ1位
太字 キャリアハイ
ABAチャンピオン

レギュラーシーズン

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Season Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1971-72 KEN 84 43.6 .598* .646 17.8* 2.7 5.0 23.8
1972-73 84 41.7 .559* .500 .643 17.6* 3.5 3.1 20.8
1973-74 84 41.7* .493 .000 .667 18.3* 3.9 0.7 3.4 18.7
1974-75† 84 41.6* .580 .500 .696 16.2 2.5 0.8 3.1 23.6
1975-76 84 39.1 .552 .682 15.5* 2.5 0.7 2.4 24.6
1976–77 CHI 82 35.1 .522 .660 13.0 2.4 0.5 2.5 18.6
1977–78 82 37.4 .559 .704 13.1 3.2 0.5 2.2 22.9
1978–79 82 39.8 .575 .739 12.7 3.3 0.6 1.9 23.7
1979–80 48 32.7 .595 .712 9.0 2.8 0.6 1.2 17.8
1980–81 82 34.5 .670* .705 10.1 2.1 0.6 2.4 17.9
1981–82 82 82 34.1 .652* 1.000 .768 10.2 1.7 0.6 2.7 18.5
1982–83 SAS 82 82 34.1 .626* .000 .740 12.0 1.5 0.5 2.3 18.0
1983–84 64 59 31.8 .631* .000 .718 10.3 1.1 0.6 2.1 15.3
1984–85 81 81 34.0 .623 .000 .749 10.4 1.6 0.5 2.1 19.1
1985–86 71 71 33.7 .618 .000 .701 8.5 1.4 0.5 1.5 16.7
1986–87 82 74 29.3 .597 .680 7.1 1.8 0.5 1.2 11.4
1987–88 CHI 24 23 15.5 .513 .514 2.6 0.4 0.2 0.5 4.2
BOS 47 4 11.1 .574 .527 3.1 0.3 0.2 0.4 3.5
Career 1329 476 35.5 .582 .150 .698 12.3 2.3 0.6 2.4 18.8
All-Star 11 2 21.4 .609 .642 7.1 1.3 0.7 1.2 10.7

プレーオフ

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Year Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1972 KEN 6 47.5* .571 .000 .711 17.7 4.2 21.8
1973 19 41.1 .544 .626 13.7 3.9 19.0
1974 8 43.0 .559 .576 18.6* 3.5 0.9 3.8* 22.5
1975† 15 45.3 .539 .772 17.6* 2.5 1.0 2.1 24.1
1976 10 39.0 .608* .757 15.2* 1.9 1.1 3.6* 24.2
1977 CHI 3 42.0 .475 .783 13.0 2.0 1.0 2.7 18.7
1981 6 41.2 .583 .691 11.2 2.0 1.0 2.8* 18.0
1983 SAS 11 36.5 .576 .696 12.9 1.6 0.8 3.1 16.7
1985 5 5 37.0 .558 .689 10.0 1.4 0.4 1.4 17.8
1986 3 3 35.7 .667 .000 .571 6.0 1.0 2.3 0.3 13.3
1988 BOS 14 0 6.1 .500 .500 1.4 0.1 0.0 0.3 1.1
Career 100 8 36.3 .561 .000 .688 12.7 2.3 0.8 2.2 17.7

関連項目

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外部リンク

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