アーサー・フォーブス (第2代グラナード伯爵)
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第2代グラナード伯爵アーサー・フォーブス(英語: Arthur Forbes, 2nd Earl of Granard、1656年頃 – 1734年8月24日)は、アイルランド王国の貴族、軍人。1684年から1695年までフォーブス子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]初代グラナード伯爵アーサー・フォーブスとキャサリン・ニューコメン(Catharine Newcomen、1714年12月8日没、第4代準男爵サー・ロバート・ニューコメンの娘)の息子として、1656年頃に生まれた[1]。
1686年から1688年までグラナード伯爵の歩兵連隊の隊長を務めたが[2]、ウィリアム3世により解任されロンドン塔に投獄された[1]。また、テュレンヌ子爵の部下として従軍したこともあり、大トルコ戦争では1686年のブダ包囲戦に参戦した[1]。
1695年に父が死去すると、グラナード伯爵の爵位を継承、1707年8月2日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。
1734年8月24日にダブリン近郊で死去、息子ジョージが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1678年10月、メアリー・ロードン(Mary Rawdon、1661年 – 1724年4月1日、初代準男爵サー・ジョージ・ロードンの娘)と結婚、3男2女をもうけた[2]。
- アーサー(1704年8月13日没) - 陸軍軍人。ヘヒシュテットの戦いで戦死
- 男子
- ジョージ(1685年 – 1765年) - 第3代グラナード伯爵、子供あり
- ジェーン(1760年10月没) - ジョサイアス・シャンペイン(Josias Champagne)と結婚、子供あり
- ドロシー(1779年5月17日没)
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 75.
- ^ a b "Granard, Earl of (I, 1684)". Cracroft's Peerage (英語). 12 January 2007. 2019年11月16日閲覧。
軍職 | ||
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先代 グラナード伯爵 |
グラナード伯爵の歩兵連隊隊長 1686年 – 1688年 |
次代 サー・ジョン・エッジワース |
アイルランドの爵位 | ||
先代 アーサー・フォーブス |
グラナード伯爵 1695年 – 1734年 |
次代 ジョージ・フォーブス |