アンナ・ラッセル (ベッドフォード公爵夫人)
アンナ・マリア・ラッセル Anna Maria Russell | |
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1820年頃のアンナ・ラッセル | |
称号 | ベッドフォード公爵夫人 |
出生 |
1783年9月3日 |
死去 |
1857年7月3日(73歳没) イギリス、ロンドン、ベルグレイブ広場 |
配偶者 | 第7代ベッドフォード公フランシス・ラッセル |
子女 | ウィリアム・ラッセル |
家名 | スタンホープ家 |
父親 | 第3代ハリントン伯爵チャールズ・スタンホープ |
母親 | ジェーン・フレミング |
ベッドフォード公爵夫人アンナ・マリア・ラッセル(英語: Anna Maria Russell, Duchess of Bedford、旧姓スタンホープ(Stanhope)、1783年9月3日 - 1857年7月3日)は、イギリスの大貴族である第7代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセルの夫人で、イギリスの習慣であるアフタヌーン・ティーを始めたと言われる人物。キリンビバレッジの紅茶飲料『午後の紅茶』のパッケージに描かれている女性は彼女である[1]。
経歴
[編集]1783年9月3日に陸軍大将の第3代ハリントン伯爵チャールズ・スタンホープとその妻ジェーン(初代準男爵サー・ジョン・フレミングの娘)の間の長女として生まれる[2][3]。
1808年8月8日に当時タヴィストック侯爵の儀礼称号を使用していたフランシス・ラッセル(第6代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルの長男)と結婚した[2]。
1837年から1841年にかけてヴィクトリア女王の寝室女官を務めた[2]。この間ヴィクトリア女王の生母であるケント公夫人ヴィクトリアの女官であるレディ・フローラ・ヘイスティングスが妊娠したというスキャンダルに巻き込まれた。後に誤解は解けたが、彼女の不用意な発言が原因の一つであったとされ、しばらくの間批判に晒された[4]。
1839年10月20日に夫フランシスが第7代ベッドフォード公爵位を継承したため、アンナもベッドフォード公爵夫人(Duchess of Bedford)の儀礼称号で呼ばれるようになった[2][5]。
彼女はベッドフォード公爵邸を訪問した客人をよくもてなし、イギリスの「5時のお茶(five o'clock tea)」(「アフタヌーン・ティー」)の風習はアンナのもてなしを起源としている[6]。日本のキリンビバレッジの紅茶飲料『午後の紅茶』は「日本にも紅茶の本場英国の習慣を根付かせたい」という願いを込めてアンナの肖像をパッケージに用いている[1]。
1857年7月3日にロンドン・ベルグレイブ広場の邸宅で死去した[2]。
家族
[編集]1808年8月8日にタヴィストック侯爵フランシス・ラッセル(後の第7代ベッドフォード公爵)と結婚し、彼との間に以下の子をもうけた[2][7]。
- 第1子(長男)ウィリアム・ラッセル(1809年 - 1872年) - 第8代ベッドフォード公爵位を継承
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “午後の紅茶のひみつ”. KIRIN 公式サイト. 2018年12月6日閲覧。
- ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “Hon. Anna Maria Stanhope” (英語). thepeerage.com. 2018年12月6日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Bedford, Duke of (E, 1694)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2018年12月6日閲覧。
- ^ 森護 1987, p. 230.
- ^ Lundy, Darryl. “Francis Russell, 7th Duke of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2018年12月6日閲覧。
- ^ 森護 1987, p. 229.
- ^ Heraldic Media Limited. “Bedford, Duke of (E, 1694)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2018年12月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979。