アンナ・クールプール・ピール
アンナ・クールプール・ピール Anna Claypoole Peale | |
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父親のジェイムズ・ピールによる肖像画 | |
生誕 |
1791年3月6日 フィラデルフィア |
死没 |
1878年12月25日 (87歳没) フィラデルフィア |
アンナ・クールプール・ピール(Anna Claypoole Peale、1791年3月6日 - 1878年12月25日)は、アメリカ合衆国の画家である。フィラデルフィアの画家の一族の出身で、肖像画やミニアチュールを描いた。フィラデルフィアのペンシルベニア美術アカデミーの最初の女性会員に選ばれた[1]。
略歴
[編集]フィラデルフィアで生まれた。父親のジェイムズ・ピール(1749-1831)も肖像画家、ミニアチュール画家であった。叔父のチャールズ・ウィルソン・ピール(1741-1827)は彫刻家のウイリアム・ラッシュ(William Rush: 1756–1833)らとアメリカ最初の美術アカデミーであるペンシルベニア美術アカデミーを創立した有力な画家で、チャールズの息子には、画家になったラファエル・ピール(1774-1825)や博物画家になったティティアン・ピール(1799-1885)らがいた。妹のマーガレッタ・アンジェリカ・ピール(1795-1882)とサラ・ミリアム・ピール(1800-1885)も画家になった。
父親から肖像画を学び、生き生きとした肖像画を描くことができるようになり[2] 、叔父のチャールズ・ウィルソン・ピールのもとでも修行を続けた。5年ほど父親の助手を務めた後、16歳ころから独立して作品を描くようになり[3]、1810年ころから、母親の旧姓でミドルネームのクールプールのイニシャルを作品の署名に加えた[3]。1817年から 1818年にかけて、画家として最も人気がある時期であった。アンナ・クールプール・ピールが肖像画を描いた人物にはジェームズ・モンロー大統領やアンドリュー・ジャクソン大統領、リチャード・メンター・ジョンソン上院議員らがいた。
1824年に、妹のサラ・ミリアム・ピールとともに、ペンシルバニア美術アカデミーのアカデミー会員に女性として初めて選出された[4]。
1829年8月27日にウィリアム・ストートン(William Staughton)という人物と結婚したが、その年のうちに夫は死去した。夫の死後、フィラデルフィアで肖像画家として働き、11年後の1841年に軍人のウィリアム・ダンカン(William Duncan)と結婚し、画家の仕事から引退した。
1878年にフィラデルフィアで没した。子供はいなかった。
作品
[編集]-
アンドリュー・ジャクソン大統領 (1819)
Yale University Art Gallery -
Phoebe Anne Ridgway Rushの肖像画
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Mrs. Nathaniel Moore Heywood
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Mary Gorsuch Jessop
参考文献
[編集]- ^ “Anna Claypoole Peale”. 2024年2月18日閲覧。
- ^ Hirshorn, Anne (1989). Legacy of Ivory: Anna Claypoole Peale's Portrait Miniatures, Volume 64. Detroit Institute of Arts
- ^ a b Hirshorn, Anne Sue (February 2002). “Portraits in Miniature”. Antiques: 83–4.
- ^ Schwarz, Robert (1987). A Gallery Collects Peales. Philadelphia: Frank S Schwarz & Son