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アンドレイ・カシェチキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドレイ・カシェチキン
(アンドレイ・カシェチュキン)
Andrey Kashechkin
基本情報
本名
  • Андрей Григорьевич Кашечкин
  • アンドレイ・グリゴリェヴィチュ・カシェチュキン
愛称 Kash
生年月日 (1980-03-21) 1980年3月21日(44歳)
国籍 カザフスタンの旗 カザフスタン
身長 184cm
体重 72kg
選手情報
所属 アスタナ
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 オールラウンダー
プロ経歴
2001–2002
2003
2004–2005
2006
2007
2010–2011
2011–
ドモ=ファルム・フリテス
クイックステップ・ダヴィタモン
クレディ・アグリコル
リベルティ・セグロス=ヴュルト
アスタナ
ランプレ=ファルネーゼ・ヴィーニ
アスタナ
主要レース勝利
ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝
パリ~ニース 区間1勝
最終更新日
2012年1月25日

アンドレイ・グリゴーリエヴィッチ・カシェチキンロシア語: Андрей Григорьевич Кашечкин, ラテン文字転写: Andrey Grigorievich Kashechkin1980年3月21日 - )は、カザフスタン自転車競技選手。

経歴

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カザフスタンクズロルダ出身。

2001年、ドモ・ファルムと契約を結んでプロ転向。

2003年、クイックステップ・ダヴィタモンに移籍。

2004年クレディ・アグリコルに移籍

2005年ツール・ド・フランスに初出場。新人賞部門で2位に入る(総合19位)。

2006年、同胞のアレクサンドル・ヴィノクロフがリーダーを務める、アスタナに移籍。

2007年

  • ツール・ド・ロマンディ 総合3位
  • ドーフィネ・リベレ 総合3位に入り、
  • その後ツール・ド・フランスへと挑んだが、エースのヴィノクロフのドーピング発覚騒動が発端となり、選手全員をツールから撤退させるという意向により、第15ステージ終了後に棄権。
  • そしてヴィノクロフのドーピング騒動はカシェチキンにも及ぶことになった。同年8月1日、トルコのベレクで行なわれた抜き打ち検査で、血液ドーピングの陽性反応が出る[1]。そして同月31日、Bサンプル検査においても陽性反応が出た[2]ことから、チームを解雇された。

2009年、出場停止期間の明けたカシェチキンはレース復帰を目指したが所属チームを見つけることは出来なかった。

2010年7月、ランプレ=ファルネーゼ・ヴィーニ(現 ランプレ・ISD)と契約。

2011年8月、シーズン途中で古巣のアスタナに復帰[3]

その他

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非常に長いステムを使用することでも知られ、オーダーメイドのステムは200mmと言われる。[4]

脚注

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  1. ^ カシェチキン陽性 再び窮地に立たされるアスタナ(サイクリングタイム2007年8月9日付記事)
  2. ^ アスタナ Bサンプル検査の結果カシェチキンの解雇を発表(AFPBBニュース2007年9月1日付記事)
  3. ^ アスタナ公式サイトのニュースページ
  4. ^ アンドレイ・カシェチキン(カザフスタン、アスタナ)のステムはついに200mmに達した - cyclowired 2013/04/25 - 00:23

外部リンク

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