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アンドレア・ナーレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドレア・ナーレス
Andrea Maria Nahles
生年月日 (1970-06-20) 1970年6月20日(54歳)
出生地 西ドイツの旗 西ドイツ メンディヒ
出身校 ボン大学
所属政党 ドイツ社会民主党
公式サイト https://www.andrea-nahles.de/

在任期間 2018年4月22日 - 2019年6月4日

ドイツの旗 労働・社会大臣
内閣 第3次メルケル内閣
在任期間 2013年12月17日 - 2017年9月27日
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アンドレア・ナーレスドイツ語: Andrea Maria Nahles1970年6月20日 - )は、ドイツ政治家。2018年4月から2019年6月までドイツ社会民主党 (SPD)の党首を務めた。このほか、SPDの副党首、幹事長、連邦議会議員団長や労働・社会大臣を歴任。

経歴

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生い立ち

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1970年にメンディヒで生まれる。ラインラント=プファルツ州の農村部のアイフェル地方で育ち1989年に高校を卒業[1]ボン大学政治哲学、ドイツの語学・文学を学び修士号を取得した。

政治家として

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1988年にドイツ社会民主党(SPD)に入党する。その後1993年から、党のラインラント=プファルツ州の青年部代表、1995年からは全国組織での青年部代表を務めた。1997年にはSPDの党執行部のメンバーとなる。1998年に連邦議会の議員に当選。

2009年11月にドレスデンで開催された党大会でSPDの幹事長に選出される[2]

2013年には第3次メルケル内閣で労働・社会大臣に就任し、初入閣。

社会民主党党首

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2018年4月22日、党大会で社会民主党の初の女性党首に選出される[3]。155年ものSPDの歴史で唯一の女性党首となり、ドイツにおける2大政党の党首がともに女性となった(もう一方はCDUメルケル)。しかし2019年5月の欧州議会議員選挙でSPDは大敗し、その直後SPDの牙城であるブレーメン州議会選挙でも第1党の座を73年ぶりに失うなど党の退潮を止められず、6月3日に党首を辞任する意向を表明した[4][5]。翌日には党代表幹事も辞職。さらに11月1日付で国会議員も辞任し、政界から引退した[6]

脚注

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  1. ^ German Social Democrats brace for left-wing makeover”. 2019年2月3日閲覧。
  2. ^ New SPD leaders flag fresh tax approach”. 2019年2月3日閲覧。
  3. ^ 独SPD党首 アンドレア・ナーレス氏 力強い演説 老舗救えるか”. 2019年2月3日閲覧。
  4. ^ “ドイツ社会民主党、ナーレス党首が辞意表明 メルケル首相 連立崩壊の臆測打ち消し”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年6月3日). https://www.afpbb.com/articles/-/3228067 2019年6月3日閲覧。 
  5. ^ “独SPD党首が辞任へ、メルケル大連立政権に打撃”. ロイター. (2019年6月3日). https://jp.reuters.com/article/germany-politics-spd-idJPKCN1T30VH 2019年6月3日閲覧。 
  6. ^ WELT (2019年10月14日). “Andrea Nahles: Ex-SPD-Chefin legt Bundestagsmandat nieder”. DIE WELT. https://www.welt.de/politik/deutschland/article201854454/Andrea-Nahles-Ex-SPD-Chefin-legt-Bundestagsmandat-nieder.html 2020年2月25日閲覧。 

外部リンク

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公職
先代
ウルズラ・フォン・デア・ライエン
ドイツの旗労働・社会大臣
2013年 - 2017年
次代
カタリナ・バーリー
党職
先代
マルティン・シュルツ
ドイツ社会民主党党首
2018年 - 2019年
次代
マル・ドライヤー
マヌエラ・シュヴェーズィヒ
トルステン・シェーファー=ギュンベル
(共同代表代行)