アンドレア・ガスタルディ
アンドレア・ガスタルディ Andrea Gastaldi | |
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自画像 | |
生誕 |
1826年4月18日 トリノ |
死没 |
1889年1月9日 (62歳没) トリノ |
アンドレア・ガスタルディ(Andrea Gastaldi、1826年4月18日 - 1889年1月9日[1])はイタリアの画家である。人物画やイタリアの歴史や文学作品に題材をとった作品を描き、トリノの美術学校(Accademia Albertina)で教授を務めた。
略歴
[編集]トリノで法律家の息子に生まれた。母親は有名な版画家、美術商のジョヴァンニ・ヴォルパト(1735-1803)の姉妹で、芸術的な環境で育ち叔父のヴォルパトの支援を受けた。トリノの美術学校(Accademia Albertina)でミケーレ・クーサ(Michele Cusa: 1799‐1870) やジョヴァンニ・バティスタ・ビスカラ(1790-1851)、カルロ・アリエンティ(1801-1873)に学んだ。
1850年からフィレンツェやローマで修行を続け、パリにもしばらく滞在し、トマ・クチュール(1815-1879)の工房で学び、ポール・ドラローシュ(1797-1856)とも知り合った[2]。
1852年ころからトリノの美術振興協会が毎年開催する展覧会に出展し、1853年にはパリの展覧会でも賞を得た。パリで画家のレオニー・レスキュイエLéonie Lescuyerと出会い後に結婚した[3]。1855年のパリ万国博覧会の展覧会にも出展し、佳作を受賞した。
1855年にサルデーニャ王国の国王、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が博物学者、政治家のFerdinando Arborio Gattinara di Bremeを美術学校(Accademia Albertina)の校長にして美術教育の改革を進めさせた時、有望な若手芸術家の一人としてアカデミーの会員に選ばれ、1858年に絵画の教授になった。1860年からトリノに定住し、公的な様々な仕事も務めた。アカデミーでのガスタルディの学生には ルイージ・モルガリ(Luigi Morgari: 1857-1935) やアンジェロ・パスカル(Angelo Pascal: 1858-1888) 、チェーザレ・サッカージ(1868-1934)がいる。
作品
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トリノ包囲戦のピエトロ・ミッカ
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アレッサンドロ・マンゾーニの小説『いいなづけ』の人物 (1860)
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サッフォー (1872)
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中世のローマ教皇ボニファティウス8世 (1875)
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シオンの囚人 (1854)
オスロ国立美術館 -
パリジーナの夢(バイロンの詩が題材)
脚注
[編集]- ^ Treccani.it
- ^ Treccani Encyclopedia, short biography.
- ^ A. Stella, page 199
参考文献
[編集]- A. Ciufo, "Gastaldi Andrea", voce del Dizionario Biografico degli Italiani, Istituto dell’Enciclopedia Italiana, Volume 52, Roma, 1999
- Rosanna Maggio Serra, "Andrea Gastaldi 1826-1889", ed. Allemandi (2000) ISBN 978-8842201694
- G Lavini, "Andrea Gastaldi", (2010) ISBN 978-1169640412
- G. Cordero, "I maestri dell'Accademia Albertina. Andrea Gastaldi. Le opere e i giorni", ed. Albertina Press (2016), ISBN 978-8894127041