アンドリュー・コーワン
基本情報 | |
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国籍 | |
生年月日 | 1936年12月13日[1][2][3] |
出身地 | スコットランド スコティッシュ・ボーダーズ ダンズ |
死没日 | [3][4][5][6] |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1973年 – 1981年 |
アンドリュー・コーワン (Andrew Cowan、1936年12月13日 – 2019年10月15日) は、イギリスのラリードライバー。三菱自動車のモータースポーツ組織ラリーアート・ヨーロッパの代表として同社のモータースポーツ活動を牽引した。
経歴
[編集]1936 年、スコットランドのダンズに生まれる[1][4]。少年時代からの友人に、F1 チャンピオンとなるジム・クラークがいる[1][6][7]。
17 歳からモータースポーツに触れ、1960 年にフォルクスワーゲン・ビートルでラリーに参戦する[8]。1962 年と 1963 年にスコティッシュ・ラリーで優勝[4][5]するなど結果を残し、ルーツの契約ドライバーとなる[1][9]。1968 年、ロンドン–シドニー・マラソンをサンビーム・ハンターで優勝する[1][5][10]。
1969 年、初参戦のサザンクロス・ラリーで優勝したコーワンは三菱の目にとまり、1972 年から三菱のワークスドライバーになる[11]。サザンクロス・ラリーを 1972 年から 1976 年まで 5 連覇する[5][4][12]。
1977 年に三菱が活動を休止[13]すると、1980 年までメルセデスのワークスドライバーとなり[10]、1977 年にロンドン–シドニー・マラソン[5]、1978 年に南米マラソン[4][5]で優勝する。
1983 年、三菱の要請を請けてイギリスに「アンドリュー・コーワン・モータースポーツ」(ACM) を設立し、「ラリーアート・ヨーロッパ」(RAE) として三菱の世界ラリー選手権 (WRC) ワークスチームを運営する[10][14][15]。
1983 年から 1990 年まで、三菱のワークスドライバーとしてダカール・ラリーに参戦する[16][17][18][19][20][21][22][23]。1986 年には、事故を起こすヘリコプターに乗る直前のティエリー・サビーヌに会っており、彼と握手をした最後の人物だろうという[24]。
1990 年代には、WRC においてトミ・マキネンのドライバーズタイトル 4 連覇と 1 度のマニュファクチャラーズタイトルにチームを導く[25]。
2003 年、三菱のモータースポーツ組織は再編されることになり、ACM は三菱自動車に買収され、コーワンは相談役に退く[26][27]。
2005 年に引退した後は、家業の農業、趣味の釣りやヒストリックラリーに勤しんだ[3][4][5][12][28]。2019 年 10 月 15 日、病死、82 歳没[3][4][5][6]。2020 年 2 月、生誕地のダンズで追悼式が行われた[29][30]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e Hugh W. Bishop 1994.
- ^ Martin Holmes 1996, p. 13.
- ^ a b c d “Obituary: Andrew Cowan, Scottish rally driver who won the London-Sydney Marathon twice” (英語). ザ・スコッツマン. (2019年10月24日) 2022年11月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g “三菱ラリーアート・ヨーロッパの名将、アンドリュー・コーワン逝去”. Rally+.net. (2019年10月18日) 2022年11月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Former Mitsubishi WRC head Andrew Cowan has died. He was 82.” (英語) (2019年10月17日). 2022年11月6日閲覧。
- ^ a b c “NOTICE OF DEATH - ANDREW COWAN” (英語). British Racing Drivers' Club. 2022年11月6日閲覧。
- ^ Martin Sharp 2014, p. 53.
- ^ Martin Sharp 2014, pp. 46, 53.
- ^ Martin Sharp 2014, p. 46.
- ^ a b c Martin Sharp 2014, p. 47.
- ^ 稲垣秋介 2006, p. 33.
- ^ a b 川田輝 2016, p. 101.
- ^ 稲垣秋介 2006, p. 45.
- ^ 稲垣秋介 2006, pp. 50–51.
- ^ 川田輝 2016, pp. 102, 104.
- ^ “三菱パジェロ、初参戦、市販車無改造クラスで優勝”. 三菱自動車工業株式会社. 2022年11月6日閲覧。
- ^ “プロトタイプ勢に分け入る総合3位で市販車改造クラス優勝”. 三菱自動車工業株式会社. 2022年11月6日閲覧。
- ^ “日本車初の快挙、三菱パジェロ総合優勝”. 三菱自動車工業株式会社. 2022年11月6日閲覧。
- ^ “パリダカ創始者の死に泣いたパリダカ プロトタイプ・パジェロ、全マシン完走”. 三菱自動車工業株式会社. 2022年11月6日閲覧。
- ^ “パリダカ新時代の到来 三菱vsプジョー、熾烈な優勝争奪戦”. 三菱自動車工業株式会社. 2022年11月6日閲覧。
- ^ “10年目のパリダカ 三菱パジェロと篠塚建次郎、総合2位!”. 三菱自動車工業株式会社. 2022年11月6日閲覧。
- ^ “三菱パジェロ、トップ10に5台 信頼性の高さを実証”. 三菱自動車工業株式会社. 2022年11月6日閲覧。
- ^ “三菱vsプジョー、最後の戦い プロトタイプ・パジェロは大幅に強化”. 三菱自動車工業株式会社. 2022年11月6日閲覧。
- ^ Martin Sharp 2014, p. 49.
- ^ Martin Sharp 2014, p. 50.
- ^ "Mitsubishi Motors Takes Over Andrew Cowan Motorsports in United Kingdom" (Press release) (英語). 三菱自動車工業株式会社. 2 April 2003. 2022年11月6日閲覧。
- ^ 『三菱自動車モータースポーツの新たな挑戦』(プレスリリース)三菱自動車工業株式会社、2003年10月9日 。2022年11月6日閲覧。
- ^ Martin Sharp 2014, pp. 46–47.
- ^ “Rallying world honours Cowan” (英語). DirtFish (2020年2月1日). 2022年11月6日閲覧。
- ^ “David Evans: Why Andrew Cowan was a rallying great” (英語). DirtFish (2020年2月5日). 2022年11月6日閲覧。
参考文献
[編集]- Hugh W. Bishop「アンドリュー・コーワン」『オートスポーツ』第31巻第23号、三栄書房、1994年12月、50-51頁、ASB:AST19941201。
- Martin Holmes 著、Tokuko Tomita 訳「アンドリュー・コーワン: ラリー・ティームマネージャーの生活」『World Rallying』 18巻、ネコパブリッシング、1996年(原著1995年)、13-17頁。
- 稲垣秋介『三菱ラリーカーの軌跡 - コルト1000FからランサーエボリューションWRCまで』三菱自動車工業株式会社 監修、山海堂、2006年。ISBN 4381088603。
- Martin Sharp「アンドリュー・コーワン」『Rally Cars』第4巻、三栄書房、2014年、44-53頁、ASB:RLL20140310。
- 川田輝「アンドリュー・コーワン」『Rally Cars』第14巻、三栄書房、2016年、101-104頁、ASB:RLL20161015。