アントン・ハイダ
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(アントン・ヘイダから転送)
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選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
フルネーム | アントン・ハイダ | |||||||||||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1878年10月 | |||||||||||||||||||||||
生誕地 | 不明 | |||||||||||||||||||||||
没年月日 | 不明 | |||||||||||||||||||||||
種目 | 体操競技 | |||||||||||||||||||||||
所属 | Philadelphia Turngemeinde, Philadelphia (USA) | |||||||||||||||||||||||
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アントン・ハイダ(Anton Heida、1878年10月 - 没年不明)は、アメリカ合衆国の元体操選手である。 彼は1904年セントルイスオリンピックの体操競技で、金メダル5個、銀メダル1個を獲得した。
経歴
[編集]自国で開催されたセントルイスオリンピックに、所属クラブPhiladelphia Turngemeindeの一員として出場した。全部で9種目に出場したうち、団体競技で金メダルを獲得したのを始め、個人種目も含めて合計で6個のメダルを獲得した[1]。
オリンピック以外の大会では、1902年にアメリカ国内競技会での跳馬種目で優勝した経験がある。
ハイダのオリンピック出場は、セントルイスオリンピック1回のみで終わった。後には、「オリンピック・トリオ」(Olympic Trio)というアクロバット一座を結成してヴォードヴィルの世界に進出している。
オリンピックでの成績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 |
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1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | 個人総合[2] | 18位(62.72点) |
1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | 三種競技[3] | 59位(25点) |
1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | 4種目総合[4] | 1位(161点) |
1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | 3種目総合[5] | 12位(37.72点) |
1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | 団体 | 1位(370.13点) |
1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | 跳馬 | 1位タイ(36点) |
1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | 平行棒 | 2位(43点) |
1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | 鉄棒 | 1位タイ(40点) |
1904 | 1904年セントルイスオリンピック | セントルイス(アメリカ) | あん馬 | 1位(42点) |
脚注
[編集]- ^ このオリンピックの団体競技は、国ごとではなく所属クラブ別の対抗戦だった。全部で13チームが参加しているが、全て開催国アメリカからの参加だった。
- ^ この大会の個人総合は、鉄棒、平行棒、跳馬の3種目の得点に三種競技の総合得点を加えたもので結果を決めた。
- ^ 走幅跳、砲丸投、100ヤード走の3種を行い、その総合得点で争われた。
- ^ 平行棒、鉄棒、跳馬、あん馬。
- ^ 平行棒、鉄棒、跳馬。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- アントン・ハイダ - Olympedia