アントワネット・ド・ブルボン=ヴァンドーム
表示
(アントワネット・ド・ブルボンから転送)
アントワネット・ド・ブルボン=ヴァンドーム Antoinette de Bourbon-Vendôme | |
---|---|
称号 | ギーズ公妃 |
出生 |
1494年12月25日 フランス王国、ソンム、アム城 |
死去 |
1583年1月22日(89歳没) フランス王国、ジョアンヴィル城 |
配偶者 | ギーズ公クロード |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ブルボン=ヴァンドーム家 |
父親 | ヴァンドーム伯フランソワ |
母親 | サン=ポル女伯マリー・ド・リュクサンブール |
アントワネット・ド・ブルボン=ヴァンドーム(Antoinette de Bourbon-Vendôme, 1494年12月25日 - 1583年1月22日)は、フランスの貴族ギーズ公クロードの妻。ヴァロワ朝後期のブルボン家の人物で、父はヴァンドーム伯フランソワ・ド・ブルボン、母はサン=ポル女伯マリー・ド・リュクサンブールである。スコットランド王ジェームズ5世の妃メアリー・オブ・ギーズの母、女王メアリーの祖母であり、またブルボン朝初代の王アンリ4世の大叔母に当たる。
1513年にギーズ伯(後にギーズ公となる)クロードと結婚し、長女マリー(メアリー・オブ・ギーズ)、長男ギーズ公フランソワを始め12人の子供をもうけた。三女ルネを除く全ての子供たちに先立たれた後、1583年に89歳の高齢で死去した。
子女
[編集]- マリー(1515年 - 1560年) - 1534年にロングヴィル公ルイ2世と結婚、1538年にスコットランド王ジェームズ5世と再婚
- フランソワ(1519年 - 1563年) - ギーズ公
- ルイーズ(1520年 - 1542年) - 1541年、アールスコート公シャルル2世・ド・クロイと結婚
- ルネ(1522年9月2日 - 1602年4月3日) - ランスのサン・ピエール修道院長
- シャルル(1524年 - 1574年) - 枢機卿
- クロード(1526年 - 1573年) - オマール公
- ルイ(1527年 - 1578年) - 枢機卿
- フィリップ(1529年)
- ピエール(1530年)
- アントワネット(1531年 - 1561年) - ファルムティエ女子修道院長
- フランソワ(1534年 - 1563年) - マルタ騎士修道会会長
- ルネ(1536年 - 1566年) - エルブフ侯