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アントニオ・マニコーネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントニオ・マニコーネ
名前
ラテン文字 Antonio Manicone
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1966-11-27) 1966年11月27日(58歳)
出身地 ミラノ
身長 174cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1986 イタリアの旗 インテルナツィオナーレ・ミラノ 0 (0)
1986-1987 イタリアの旗 リカータ 32 (1)
1987-1989 イタリアの旗 パレルモ 65 (4)
1989-1991 イタリアの旗 フォッジャ 67 (0)
1991-1992 イタリアの旗 ウディネーゼ 41 (0)
1992-1996 イタリアの旗 インテルナツィオナーレ・ミラノ 58 (1)
1994-1995 イタリアの旗 ジェノア(loan) 25 (1)
1996-1998 イタリアの旗 ペルージャ 24 (0)
1998-1999 イタリアの旗 コゼンツァ 17 (0)
1999-2000 イタリアの旗 カルチョ・レッコ1912 36 (0)
2000-2003 イタリアの旗 アウローラ・プロ・パトリア1919 70 (0)
代表歴
1993 イタリアの旗 イタリア 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アントニオ・マニコーネイタリア語: Antonio Manicone1966年11月27日 - )は、イタリアミラノ出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはミッドフィールダー。中盤の底から長短のパスでゲームを組み立てた[1]

経歴

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1992-93シーズン途中にインテルに移籍、チームに完全にフィットし、レギュラーポジションを獲得した。最終的に優勝は逃したが、マニコーネの加入により、インテルは、一時独走していたACミランと優勝を争った[1]

インテルで好調なプレー見せていた、1993年にイタリア代表に2度招集され、9月22日の1994 FIFAワールドカップ予選、エストニア戦でプレーした[2]

1993-94シーズンも主要メンバーとしてUEFAカップの優勝に貢献、翌1994-95はジェノアにレンタル移籍[3]三浦知良とチームメートとなった。12節のジェノバダービーサンプドリア戦ではフィードをスクラビーが頭で落し、三浦知良のゴールが生まれた[3]。また16節のパドバ戦では、三浦のアシストから決勝ゴールを決めた[4]

ペルージャでは中田英寿とチームメートであった。

エピソード

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2018 FIFAワールドカップの組み合わせ抽選会では、偶然にもジェノア時代のチームメート三浦知良と遭遇、三浦は「知ってる顔だが、どうしても名前が思い浮かばないかったが、目があった瞬間、カァズゥーと駆け寄ってきた。嬉しい再会だった[3]。」と再会を喜んだ。

三浦知良のセリエAデビュー戦となった、1994-95シーズン開幕戦のACミラン戦で出場[5]中田英寿のセリエAデビュー戦となった、1998-99シーズンの開幕戦のユベントス戦でも出場[6]、2人の日本人選手のセリエAデビュー戦に立ち会った。

脚注

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  1. ^ a b Storia di Antonio Manicone, il rinforzo silenzioso” (Italian). F.C. Inter News (25 January 2012). 13 September 2015閲覧。
  2. ^ Manicone, Antonio” (Italian). FIGC. 13 September 2015閲覧。
  3. ^ a b c 深夜モスクワからの国際電話 カズさんが話したかったこと-Number 2018年1月4日 2018年1月28日閲覧
  4. ^ 週刊サッカーダイジェスト 1995.2.15 P.13
  5. ^ Milan x Genoa Sept4 1994 match sheet”. www.transfermarkt.com. 10 June 2020閲覧。
  6. ^ 週刊サッカーダイジェスト 1998年10月7日号 no.436 p.4-7 日本スポーツ企画出版社

外部リンク

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