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トニー・パリシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・パリシ
トニー・パリシの画像
1978年
プロフィール
リングネーム トニー "キャノンボール" パリシ
トニー "テノール" パリシ
トニー・プリエーゼ
アントニオ・プリエーゼ
(アントニオ・プグリシー)
本名 アントニオ・プリエーゼ
ニックネーム イタリアン・キャノンボール
身長 180cm
体重 109kg - 110kg
誕生日 (1941-01-22) 1941年1月22日[1]
死亡日 (2000-08-19) 2000年8月19日(59歳没)[1]
出身地 イタリアの旗 カラブリア州
コゼンツァ県コゼンツァ
スポーツ歴 レスリング
デビュー 1961年[2]
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"キャノンボール" トニー・パリシ"Cannonball" Tony Parisi、本名:Antonio Pugliese1941年1月22日 - 2000年8月19日)は、イタリアカラブリア州コゼンツァ出身のプロレスラー[1]

イタリア系移民の多いニューヨークWWWF(WWF)や移住先のカナダを主戦場に、主にタッグマッチにおいて活躍した[2]

WWEで活動していたジョニー・パリシ(ジョニー・スウィンガー)は大甥にあたる[1]

来歴

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少年期に家族でイタリアからカナダに移住[3]オンタリオ州ナイアガラフォールズYMCAレスリングを学び、1961年デトロイト地区にてプロデビュー[4]。以降、本名のアントニオ・プリエーゼ(日本での表記はアントニオ・プグリシー)をリングネームに、同地区で邂逅したイタリア系カナダ人ジノ・ブリットとのタッグチームテネシーNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)など各地を転戦した[4]

その後、ブルーノ・サンマルチノの従兄弟という触れ込みでWWWFに登場[2][3]1966年2月21日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、当時ベビーフェイスのポジションにいたジョニー・バレンタインと組んでビル・ミラー&ダン・ミラーからUSタッグ王座を奪取した(同王座には同年12月8日にも、スパイロス・アリオンとのコンビでバロン・シクルナ&スマッシャー・スローンを破って戴冠している)[5]

1967年ロサンゼルスWWAに参戦して、ペドロ・モラレスのパートナーとなって12月にフレッド・ブラッシー&バディ・オースチンからWWA世界タッグ王座を奪取[6]1968年からはオーストラリアジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリング)にも遠征、マリオ・ミラノドン・レオ・ジョナサンと組んでスカル・マーフィー&ブルート・バーナードの凶悪コンビとIWA世界タッグ王座を争った[7]

1970年代に入り、WWWFでリングネームをトニー・パリシと改名。1972年ニューヨーク州バッファローNWFに出場して、オーストラリアでもタッグを組んでいたドミニク・デヌーチとのイタリア人コンビで活躍した[8]。ホームタウンのオンタリオでは、1974年7月21日にトロントにてジャック・ブリスコNWA世界ヘビー級王座に挑戦している[9]。同年12月28日にはフロリダにてデヌーチと組み、トール・タナカ&ディック・スレーターからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取した[10]

1975年下期、WWWFでルイ・セルダンこと旧友ジノ・ブリットとのコンビを再結成。同年11月8日、フィラデルフィアにてザ・ブラックジャックスブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザ)を破りWWWF世界タッグ王座を獲得する[11][12]。以後、イワン・コロフ&スーパースター・ビリー・グラハムなどのチームを相手に防衛を続け[13][14]1976年5月11日にジ・エクスキューショナーズ(キラー・コワルスキー&ビッグ・ジョン・スタッド)に敗れるまで戴冠した[11][12]

その後もWWWF(WWF)およびカナダの提携プロモーションを主戦場に、1970年代末から1980年代初頭にかけてはトロントのメープル・リーフ・レスリングにて、ザ・デストロイヤーレオ・バーククルト・フォン・ヘスミスター・フジクリス・マルコフ&ニコライ・ボルコフなどと対戦している[15][16]1982年からはジノ・ブリットが主宰していたモントリオールのインターナショナル・レスリング(Lutte Internationale)にも参戦、ブリットやディノ・ブラボーと組み、セーラー・ホワイトミシェル・デュボアビリー・ロビンソンパット・パターソンフレンチ・マーチンらのチームとカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を争った[17]

1984年、WWFがビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下のもと全米侵攻を開始すると、かつて主戦場としていたトロントやバッファローなどのハウス・ショーに中堅ベビーフェイスのポジションで出場。1985年11月にはオーストラリアへのツアーにも参加して、タイガー・チャン・リーレス・ソントンなどヒール陣営のジョバーから勝利を収めた[18]

1986年のセミリタイア後はナイアガラフォールズにてレストランを開業する一方、オンタリオ地区にて自主興行を主催していた[3][4]2000年8月19日、心臓発作のため死去[3][4]。59歳没。

日本には1967年7月、アントニオ・プグリシーの呼称で日本プロレスに初参戦[19]。同名義で1973年3月に全日本プロレスへ再来日し、チャンピオン・カーニバル第1回大会に参加した(トーナメント1回戦でヒロ・マツダに敗退)[20]1983年3月にはWWFとの提携ルートで新日本プロレスに参戦、同時来日したアドリアン・アドニス&ボブ・オートン・ジュニアと組んでメインイベントの6人タッグマッチにも出場した[21]

獲得タイトル

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ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・フェデレーション
ワールドワイド・レスリング・アソシエーツ
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
ナショナル・レスリング・フェデレーション
  • NWF世界タッグ王座:3回(w / ドミニク・デヌーチ×2、ルイス・マルティネス)[8]
NWAビッグタイム・レスリング
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ドミニク・デヌーチ)[10]
インターナショナル・レスリング

脚注

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  1. ^ a b c d Tony Parisi”. Wrestlingdata.com. 2024年10月3日閲覧。
  2. ^ a b c Tony Parisi”. Online World of Wrestling. 2020年7月2日閲覧。
  3. ^ a b c d Tony "Cannonball" Parisi”. Canadian Pro Wrestling Page of Fame. 2008年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月4日閲覧。
  4. ^ a b c d Tony Parisi dies of a heart attack”. Slam Wrestling (2000年8月20日). 2012年3月4日閲覧。
  5. ^ a b WWWF United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月29日閲覧。
  6. ^ a b WWA World Tag Team Title: Los Angeles version”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  7. ^ a b IWA World Tag Team Title: Australia version”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  8. ^ a b NWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  9. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1974”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  10. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。
  11. ^ a b c History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2012年2月29日閲覧。
  12. ^ a b c WWWF-WWF-WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月29日閲覧。
  13. ^ WWE Yearly Results 1975”. The History of WWE. 2012年2月29日閲覧。
  14. ^ WWE Yearly Results 1976”. The History of WWE. 2012年2月29日閲覧。
  15. ^ The MLW matches fought by Tony Parisi in 1980”. Wrestlingdata.com. 2018年10月17日閲覧。
  16. ^ The MLW matches fought by Tony Parisi in 1981”. Wrestlingdata.com. 2018年10月17日閲覧。
  17. ^ a b International Tag Team Title: Montreal version”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  18. ^ WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2012年2月29日閲覧。
  19. ^ JWA 1967 Summer Series 1”. Puroresu.com. 2015年11月6日閲覧。
  20. ^ AJPW 1973 The 1st Champion Carnival”. Puroresu.com. 2015年11月6日閲覧。
  21. ^ NJPW 1983 Big Fight Series I”. Puroresu.com. 2015年11月6日閲覧。
  22. ^ WWF International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  23. ^ NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。

外部リンク

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