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アントニオ・フィリッピーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントニオ・フィリッピーニ
Antonio Filippini
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-07-03) 1973年7月3日(51歳)
出身地 ブレシア
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992–2003 ブレシア 265 (15)
1992–1995 → オスピタレット (レンタル) 93 (8)
2004–2005 パレルモ 21 (2)
2004–2005 ラツィオ (レンタル) 36 (2)
2005–2006 トレヴィーゾ 32 (0)
2006–2010 リヴォルノ 110 (4)
2010–2011 ブレシア 15 (0)
通算 572 (31)
監督歴
2011–2012 ブレシアB
2012–2014 フェラルピサロ (ユース)
2016 ルメッザーネ
2017–2018 トレント
2020 リヴォルノ
2021 プロ・セスト
2023– ジェノア女子
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アントニオ・フィリッピーニ(Antonio Filippini, 1973年7月3日 - )は、イタリアブレシア出身の元サッカー選手。ポジションは主に右サイドMF、セントラルMF。エマヌエーレ・フィリッピーニは双子の弟で、キャリアを通じほぼ同じチームでプレーした[1]。2023年現在はジェノア女子チームの監督を務めている。

略歴

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ブレシアのユースを経て、トップに昇格するが、試合のベンチメンバー入りも無いまま、弟のエマヌエーレと共に3シーズン、オスピタレットに貸し出された[2]

1995-96シーズン、弟と共にブレシアへ複帰[2]。兄弟揃ってブレシアファンの人気を集めた[2]。1997-98シーズンにチームはセリエAに昇格、開幕節のインテル戦に先発し、兄弟揃ってセリエAの舞台を踏んだ。

2002-03シーズン、ローンで弟がパルマへと移籍することになり、パルマ対ブレシア戦で初の兄弟対決が実現し、試合はブレシアが3-4でで敗れた[2]

その後もラツィオトレヴィーゾリヴォルノでそれぞれ兄と共にプレーしていた[2]。2010-11シーズン、古巣のブレシアで現役を終えた。セリエA通算でも、ブレシアでも通算300試合以上に出場した[3]

エピソード

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ロナウドマヌエル・ルイ・コスタの二人は、運動量が多いフィリッピーニ兄弟は2人ではなく、何人も居るかのように感じられ、対戦するのが嫌だったと話していた[2]。特にロナウドは「悪夢」の様だったと話した[2]

脚注

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  1. ^ これは珍しい…イタリアで「双子監督対決」が実現!”. QOLY (2018年3月25日). 2023年7月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g I gemelli Filippini uno contro l'altro: la prima volta che sono stati avversari”. GOAL (2023年7月3日). 2023年7月25日閲覧。
  3. ^ Antonio Filippini”. Transfermarkt. 2023年7月25日閲覧。