アントニオ・デ・サルダーニャ・ダ・ガマ (ポルト・サント伯爵)
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ポルト・サント伯爵アントニオ・デ・サルダーニャ・ダ・ガマ(ポルトガル語: António de Saldanha da Gama, Conde de Porto Santo、1778年2月5日 リスボン[1] - 1839年)は、ポルトガル王国の政治家、外交官、植民地官僚、海軍軍人[1]。1815年のウィーン会議でポルトガル代表を務めた[2][3]。摂政王太子ジョアンに代わって、1815年2月8日の「奴隷貿易の廃止に関する列強の宣言」などの条約に署名した[3]。1804年から1806年までブラジル北部のマラニョン植民地総督を[4]、1807年から1810年までポルトガル領アンゴラ総督を務めた[5]。1823年10月26日、ポルト・サント伯爵に叙された[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c Albano da Silveira Pinto (1883年). “Resenha das Familias Titulares e Grandes de Portugal - Tomo II” (ポルトガル語). pp. 338-39. 2018年12月2日閲覧。
- ^ Hogg, Peter C. (1973), The African Slave Trade and Its Suppression: A Classified and Annotated Bibliography of Books, Pamphlets and Periodical Articles, Cass Library of African Studies, 137, Routledge, p. 380, ISBN 9780714627755
- ^ a b “The Parliamentary Debates from the Year 1803 to the Present Time …” (英語). T.C. Hansard. pp. 200-201 (1816年). 2018年12月2日閲覧。
- ^ “Brazil-Maranhão” (英語). worldstatesmen.org. 2018年12月2日閲覧。
- ^ “Angola” (英語). worldstatesmen.org. 2018年12月2日閲覧。