アントニオ・カルバハル
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名前 | ||||||
本名 |
アントニオ・フェリックス・カルバハル・ロドリゲス Antonio Felix Carbajal Rodríguez | |||||
愛称 | La Tota、El Cinco Copas | |||||
ラテン文字 | Antonio Carbajal | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | メキシコ | |||||
生年月日 | 1929年6月7日 | |||||
出身地 | メキシコシティ | |||||
没年月日 | 2023年5月9日(93歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1948-1950 1950-1966 |
レアル・クルブ・エスパーニャ クラブ・レオン |
45 (0) 364 (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1950-1966 | メキシコ | 48 (0) | ||||
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アントニオ・フェニックス・カルバハル・ロドリゲス(Antonio Felix Carbajal Rodríguez、1929年6月7日 - 2023年5月9日)は、メキシコ・メキシコシティ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。ニックネームの“La Tota”とは、アントニオの省略であり、子供の頃に名付けられた。
来歴
[編集]1950年ブラジル大会から1966年イングランド大会まで、史上初のワールドカップ5大会連続出場を果たしたことで知られる。(のちにドイツのMF/DFローター・マテウス(1982-1998)、イタリアのGKジャンルイジ・ブッフォン(1998-2014)、メキシコのDFラファエル・マルケス(2002-2018)、ポルトガルのFWクリスティアーノ・ロナウド(2006-2022)、アルゼンチンのFWリオネル・メッシ(2006-2022)、メキシコのGKギジェルモ・オチョア(2006-2022)も達成。現在のところ5大会連続出場登録はこの7人。)
1948年のロンドンオリンピックで活躍し、同年12月にメキシコ1部リーグのレアル・クルブ・エスパーニャでプロデビュー。2シーズンプレーした後、レオンに移籍。
ワールドカップでは通算11試合に出場。勝利したのは1962年チリ大会のチェコスロバキア戦だけだった。(この試合はチェコスロバキアのバクラフ・マシェクに当時ワールドカップ最短時間ゴール記録となる開始15秒で先制を許したが、その後逆転。メキシコの記念すべきワールドカップ初勝利試合となった。また試合が行われた6月7日はカルバハルの誕生日だった。)なお、ワールドカップ通算25失点は歴代最多タイ記録である(2002年にサウジアラビアのモハメド・アル=デアイエがタイ記録を達成)。
37歳で現役引退後はレオン、Unión de Curtidores、Atletas Campesinos、モナルカス・モレリアなどのクラブの監督や、メキシコ代表のゴールキーパーコーチを務めた。
2023年5月9日、死去[1]。93歳没。1950年ブラジル大会出場選手最後の存命者だった[2]。
ワールドカップでの成績
[編集]- 1950年ブラジル大会
- ● 0-4 ブラジル
- ● 1-4 ユーゴスラビア
- ● 1-2 スイス
- 1954年スイス大会
- ● 2-3 フランス
- 1958スウェーデン大会
- ● 0-3 スウェーデン
- △ 1-1 ウェールズ
- ● 0-4 ハンガリー
- 1962年チリ大会
- ● 0-2 ブラジル
- ● 0-1 スペイン
- ○ 3-1 チェコスロバキア
- 1966年イングランド大会
- △ 0-0 ウルグアイ
脚注
[編集]- ^ “サッカー=元メキシコ代表のカルバハル氏死去、初のW杯5大会出場”. ロイター. (2023年5月10日) 2023年5月12日閲覧。
- ^ “Falleció Darío Jara Saguier” (スペイン語). El Nacional. (2023年1月22日) 2023年5月15日閲覧。パラグアイ代表のダリオ・ハラ・サギエ(2023年1月22日没)の訃報記事。記事内で存命者はカルバハル及びチリ代表のマヌエル・ムニョスのみだとしているが、ムニョスは2人に先駆けて2022年12月17日に死去している。