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アンダマン人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大アンダマン人(1875年撮影)
漁撈を行うアンダマン人の集団 (1870年)

アンダマン人(Andamanese People)は、インド洋東部に浮かぶアンダマン諸島の先住民族の総称。ネグリトの一種で、アンダマン諸語を話す。大アンダマン系とオンガン系があり、両者の関係性についてははっきりしない(言語は別系統と考えられる)。インド人の入植により大アンダマン人のほとんどが絶滅し、オンガン系諸民族も人口は少ない。センチネル族は外部との接触を一切拒んでおり、その言語系統は不明。南アフリカのコイサン族や中央アフリカのピグミー族で見られる脂臀オンゲ族でも観察される[1]

区分

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遺伝子

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Y染色体

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アンダマン人のY染色体は大アンダマン人とオンガン人で大きく異なっている。大アンダマン人は出アフリカ後「南ルート」[2]をとったハプログループF*、K*L、P*、および「北ルート」のオーストロアジア系O1b1が合計100%であるが、オンガン人(ジャラワ族オンゲ族)はハプログループDが比較的多く存在している[3][4]。ハプログループD1a2bは出アフリカ後「北ルート」でイラン→アルタイ山脈→チベット→ビルマ→アンダマン諸島という経路をたどってきたと考えられる[5][6]

mtDNA

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アンダマン人のミトコンドリアDNAハプログループは大アンダマン人、オンガン人とも、出アフリカ後「南ルート」で到達したM31、M32のみが観察される。[3][7]

核DNA

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核DNAの分析から、アンダマン人は大幅なボトルネック効果を経験していることが示唆された。

関連項目

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脚注

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  1. ^ Chapter 5: A Physical Examination”. Andaman.org. 2012年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月13日閲覧。
  2. ^ 崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)
  3. ^ a b Kumarasamy Thangaraj, Lalji Singh, Alla G. Reddy, V.Raghavendra Rao, Subhash C. Sehgal, Peter A. Underhill, Melanie Pierson, Ian G. Frame, Erika Hagelberg(2003);Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population ;Current Biology Volume 13, Issue 2, 21 January 2003, Pages 86–93 doi:10.1016/S0960-9822(02)01336-2
  4. ^ アンダマン諸島については、従来よりハプログループD-M174*(xD-M15,D-M55)が高頻度であるとのデータ(kumarasamy et al. 2003)があり、その後系統解析の研究の進展によりアンダマン諸島のD-M174*はD-Y34537であることがわかった(Y-Full)。
  5. ^ Shi H, Zhong H, Peng Y et al. (2008). "Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations". BMC Biol. 6: 45. doi:10.1186/1741-7007-6-45. PMC 2605740. PMID 18959782.
  6. ^ 崎谷満『ヒト癌ウイルスと日本人のDNA』(勉誠出版 2011年)
  7. ^ Kumarasamy Thangaraj, Gyaneshwer Chaubey, Toomas Kivisild, Alla G. Reddy, Vijay Kumar Singh, Avinash A. Rasalkar, Lalji Singh1(2005);Reconstructing the Origin of Andaman Islanders ;Science13 May 2005: Vol. 308 no. 5724 p. 996 DOI: 10.1126/science.1109987