アレハンドロ・フェラント
アレハンドロ・フェラント Alejandro Ferrant | |
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Ramón Cillaによるカリカチュア | |
生誕 |
1843年9月9日 マドリード |
死没 |
1917年1月20日 マドリード |
アレハンドロ・フェラント(Alejandro Ferrant y Fischermans、1843年9月9日 - 1917年1月20日)はスペインの画家である。[1]
略歴
[編集]マドリードで生まれた。父親のフェルナンド・フェラント(Fernando Ferrant y Llausás: 1810-1852)は風景画家で、父親が亡くなった後、有力な画家の叔父、ルイス・フェラント(Luis Ferrant y Llausás: 1806-1868)から美術を学び、王立サン・フェルナンド美術アカデミーでも学んだ。若い頃からスペイン全国展覧会(Exposiciones Nacionales de Bellas Artes)に出展し、21歳になった1864年に3等のメダルを受賞した。新しく創設されたローマのスペイン美術アカデミー (Academia Española de Bellas Artes en Roma) の学生の一人として1874年にローマに留学し、6年間ローマに滞在し、1880年にスペインに戻った[1]。この間1878年にスペイン全国展で最高賞を受賞している。
宗教的なテーマの作品も描き、マドリードの王立サン・フランシスコ・エル・グランデ教会(Real basílica de San Francisco el Grande)やリナレス宮殿(Palacio de Linares)などの装飾画も描いた[1]。
王立サン・フェルナンド美術アカデミーの教授などを務め、マドリード現代美術館((Museo de Arte Moderno、1894年創立、1971年に閉館)の館長も務めた[1]。アルゼンチンの画家、ホルヘ・ラルコ(Jorge Larco: 1897-1967)を1911年から1年ほど教えている[2]。
息子のアンヘル・フェラント(Ángel Ferrant Vázquez: 1890–1961)は彫刻家になり前衛的な作品を残した。
作品
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慈善病院の建設を指揮するシスネロス枢機卿(1892)
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サン・セバスティアンの埋葬
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パリ万国博覧会のスペイン館(1879)
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マドリードのサンミゲル大聖堂の装飾画
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Ricardo Bellver(彫刻家)
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Ángel María de Barcia(画家)(1877)
参考文献
[編集]- ^ a b c d Pintores del siglo XIX (diccionario de arte). España: Libsa, 2001. ISBN 84-7630-842-6.
- ^ «Pintores argentinos: Jorge Larco», artículo en el sitio web Pintores Latinoamericanos. Muestra varias obras de Larco.