アレクサンドル・コイレ
表示
アレクサンドル・コイレ(Alexandre Koyré フランス語: [kwaʁe], 1892年8月29日 - 1964年4月28日)はロシア出身でフランスなどで活動した哲学者・科学史家。フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)の設立メンバー。
生涯
[編集]出生名アレクサンドル・ヴォリフォヴィチ・コイラ(ロシア語: Александр Вольфович Койра)としてロシア南部の黒海沿いのタガンログで生まれた。家族はユダヤ系であった。1908年にドイツのゲッティンゲンにわたり、ゲッティンゲン大学でエトムント・フッサールやダフィット・ヒルベルトの下で勉強していたが、フッサールが彼の論文に賛成しなかったため、パリ大学に行きアンリ・ベルクソンとレオン・ブランシュヴィックに指導を受けた。1923年に学位取得、1922年から1930年にかけてパリの高等研究所講師を務めた。この時期には同じ職場において、哲学者で著名なヘーゲル研究者だったアレクサンドル・コジェーヴと出会っている。
1930年 - 1931年モンペリエ大学講師を経て、1931年にパリの高等研究所宗教科学部門の研究主任となった。1940年から1945年の間はアメリカ合衆国に亡命していた。1956年以降プリンストン高等研究所研究員、1958年以降は没するまで、パリの科学技術史中央研究所所長を務めた。1961年にジョージ・サートン賞を受賞した。
弟子のチャールズ・C・ギリスピーの科学史論集『科学というプロフェッションの出現』に、コイレについての回想論説がある(「第2部 科学史の探究者たち」島尾永康訳、みすず書房、2011年)。
この節の加筆が望まれています。 |