アレクサンドル・アブト
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(アレクサンダー・アプトから転送)
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2003年NHK杯でのアプト | |||||||||||||||||||||
生誕 |
1976年10月22日(48歳) モスクワ | ||||||||||||||||||||
身長 | 179 cm | ||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||
コーチ | アレクサンドル・ズーリン | ||||||||||||||||||||
所属クラブ | Trade Union Moscow | ||||||||||||||||||||
引退 | 2004年 | ||||||||||||||||||||
ISUパーソナルベストスコア | |||||||||||||||||||||
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アレクサンドル・ヴィクトロヴィチ・アプト(ロシア語: Александр Викторович Абт[1]、1976年10月22日 - )は、ロシア出身の男性フィギュアスケート選手。2002年ソルトレイクシティオリンピック男子シングルロシア代表・5位入賞。ロシア語読みでは「アリクサーンドル・ヴィークタラヴィチュ・アープト」が近い。
経歴
[編集]- 6歳のときスケートを始める。アブト自身はアイスホッケーがやりたかったが、当時はソビエト連邦だった事もありフィギュアスケートになった。
- ジュニア時代は1975年の世界選手権男子シングルチャンピオンのセルゲイ・ボルコフに師事する。彼が亡くなった後はラファエル・アルトゥニアンコーチに02年まで師事する。ジュニア時代はイリヤ・クーリックと主に競っていた。
- 1991年世界ジュニアフィギュアスケート選手権2位。しかし1996年、メキシコのショーの練習中に大怪我をする。
- シニアに転向後は、後輩のアレクセイ・ヤグディンとエフゲニー・プルシェンコという2人の稀代の天才の対決に世間の注目が集まる中、イリヤ・クリムキンとロシアの3番手を争っているとみられることが多かった。
- 2002年のヨーロッパ選手権では会心の演技をしたものの、ヤグディンには及ばず2位となった。2002年ソルトレイクシティオリンピックでは総合で5位入賞。その後の長野の世界選手権にも出場したが総合4位と、共に惜しくもメダルには届かなかった。当時のアブトはこのシーズンをもって競技生活からの引退を考える中、現役続行を表明。コーチもアレクサンドル・ズーリンに変更する。
- 2002-2003年シーズンのロシアフィギュアスケート選手権で、国内大会とはいえ、生涯で初めてのタイトルを獲得。そのすぐ後の世界選手権では足の調子が悪く出場を諦めた。
- 2004年の国内選手権ではSP4位となったがFSは怪我を理由に棄権、同年2月に引退してプロに転向。日本のプリンスアイスワールドに何度か来日しロシアやアメリカを中心にアイスショーやテレビ番組に出演をして活動していたが、長年住んでいたアメリカから故郷モスクワに2015年3月に帰還した。
- 現在はエストニアのタルトゥでコーチをしている。コーチとしてはキャンプ「Alex Abt - Camp」を毎年夏や冬に開催している。
余談
[編集]- 妻のエレーナは元アイスダンス選手で、双子の兄のアレクサンドル・パブロフと組みロシア選手権などに出場していた[2]。しかし後に離婚している。
- 息子マカールの名前はアブトの祖父の名前から取った。苗字がロシアでは珍しいドイツ系な事からドイツ代表転向の噂も過去にあり、ルーツについてよく聞かれるようだが祖父は孤児だった為はっきりしないらしい。
- ヤグディンの自伝「Overcome」(ロシアでも発行されておりタイトルは「Напролом」)とロシアで発行されているプルシェンコの自伝「Другое шоу」にはアブトに関するエピソードも書かれている[3]。
主な戦績
[編集]大会/年 | 90-91 | 92-93 | 93-94 | 94-95 | 95-96 | 97-98 | 98-99 | 99-00 | 00-01 | 01-02 | 02-03 | 03-04 |
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オリンピック | 5 | |||||||||||
世界選手権 | 6 | 8 | 4 | |||||||||
欧州選手権 | 3 | 4 | 4 | 2 | ||||||||
ロシア選手権 | 4 | 4 | 18 | 4 | 3 | 3 | 2 | 1 | ||||
GPファイナル | 5 | 4 | 4 | |||||||||
GPスケートアメリカ | 3 | 3 | 6 | 5 | 3 | 2 | ||||||
GPボフロスト杯 | 3 | 2 | 4 | 4 | 2 | |||||||
GPロシア杯 | 3 | 2 | 5 | 3 | 6 | |||||||
GPNHK杯 | 8 | 5 | ||||||||||
ネーベルホルン杯 | 3 | 3 | ||||||||||
世界Jr.選手権 | 2 | 7 | 8 |
シニア
[編集]2003-2004 シーズン
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2003年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(旭川) | 3 67.46 |
7 121.40 |
5 188.86 |
2003年11月20日-23日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | 2 73.05 |
6 116.41 |
6 189.46 |
2002-2003 シーズン
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2003年02月28日-03月02日 | ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク)[4] | - | 3 | 3 | 4 |
5 | |||||
2002年11月21日-24日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | - | 3 | 3 | 3 |
2002年11月07日-10日 | ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯(ゲルゼンキルヒェン) | - | 2 | 2 | 2 |
2002年10月24日-27日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(スポケーン) | - | 3 | 2 | 2 |
2001-2002 シーズン
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2002年03月16日-24日 | 2002年世界フィギュアスケート選手権(長野) | 2 | 2 | 4 | 4 |
2002年02月09日-21日 | ソルトレイクシティオリンピック(ソルトレイクシティ) | - | 5 | 5 | 5 |
2002年01月14日-19日 | 2002年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ローザンヌ) | 1 | 2 | 2 | 2 |
2001年11月08日-11日 | ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | - | 5 | 4 | 4 |
2001年10月24日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 2 | 3 | 3 |
2000-2001 シーズン
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2001年03月17日-25日 | 2001年世界フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 4 | 7 | 9 | 8 |
2001年01月22日-27日 | 2001年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ブラチスラヴァ) | 2 | 3 | 5 | 4 |
2000年11月16日-19日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) | - | 7 | 4 | 5 |
2000年11月07日-12日 | ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | - | 4 | 4 | 4 |
2000年10月25日-29日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 6 | 5 | 5 |
1999-2000 シーズン
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2000年03月26日-04月02日 | 2000年世界フィギュアスケート選手権(ニース) | 3 | 4 | 12 | 6 |
2000年02月06日-13日 | 2000年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ウィーン) | 2 | 6 | 4 | 4 |
2000年01月13日-16日 | ISUグランプリファイナル(リヨン)[5] | - | 3 | 4 | 4 |
2 | |||||
1999年11月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) | - | 2 | 2 | 2 |
1999年10月28日-31日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 7 | 6 | 6 |
1998-1999 シーズン
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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1999年03月04日-07日 | ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | 4 | 5 | 5 |
1998年11月26日-29日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | 3 | 3 | 3 |
1998年11月12日-15日 | ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | 2 | 2 | 2 |
1997-1998 シーズン
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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1998年01月10日-18日 | 1998年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ミラノ) | 2 | 4 | 3 |
1997年10月30日-11月02日 | ISUチャンピオンシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | 5 | 3 | 3 |
1997年10月22日-26日 | ISUチャンピオンシリーズ スケートアメリカ(デトロイト) | 4 | 3 | 3 |
1997年08月25日-29日 | ネーベルホルン杯(オーベルストドルフ) | 3 |
脚注
[編集]- ^ ロシア語ラテン翻字: Alexander Viktorovich Abt
- ^ 国際スケート連盟によるボーン & パブロフのバイオグラフィー
- ^ この中でプルシェンコは先輩達にいじめられていた時に庇ってくれた先輩としてアブトの名を挙げている。
- ^ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
- ^ 順位決定方法については1999/2000 ISUグランプリファイナルを参照のこと。
外部リンク
[編集]- 国際スケート連盟によるアレクサンドル・アブトのバイオグラフィー
- "Ice Symphony"HPでのプロフィール紹介(ロシア語)
- アレクサンドル・アブト - Olympedia
- アレクサンドル・アブト (alexander.abt.90) - Facebook
- アレクサンドル・アブト (@alexabtcamp) - Instagram
- アレクサンドル・アブト (@alexabtcamp) - X(旧Twitter)