アルメニア地震 (1988年)
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アルメニア地震 | |
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被災したレニナカン(現ギュムリ)の教会 | |
震源の位置(USGS) | |
本震 | |
発生日 | 1988年12月7日 |
発生時刻 | 11:41:24(現地時間)7:41:24(UTC) |
座標 | 北緯40度59分13秒 東経44度11分06秒 / 北緯40.987度 東経44.185度座標: 北緯40度59分13秒 東経44度11分06秒 / 北緯40.987度 東経44.185度 |
震源の深さ | 5 km |
規模 | マグニチュード (Ms)6.8 |
最大震度 | メルカリ震度階級IX:スピタク |
津波 | なし |
余震 | |
回数 | Mb4.0以上:16回以上 |
最大余震 | 1988年12月7日11:45(現地時間)、Mb5.9 |
被害 | |
死傷者数 |
死者約25,000人 負傷者約19,000人 |
被害総額 | 162億ドル |
出典:特に注記がない場合はUSGS[1]による。 | |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
アルメニア地震(アルメニアじしん)は、1988年12月7日にアルメニア北部ロリ地方のスピタクを震央として発生したマグニチュード(Ms)6.8、(Ml)7.2 の地震。1988年アルメニア地震、スピタク地震(アルメニア語: Սպիտակի երկրաշարժ)などとも言う。
概要
[編集]この地震による死者は少なくとも約2万5000人、負傷者は約1万9000人に上る[2]。 震央に近いレニカナンやスピタクなどにあるフルシチョフカやブレジネフカなどの高層建築物はほとんど倒壊し、40万人を超える人が家を失った。特に顕著な被害が出たレニナカン(現・ギュムリ)では、約1万5000人-1万7000人が死亡し街も壊滅した。また、スピタクでも大きな被害が生じ、約4000人が死亡した[3]。
地震発生時、震央から約90kmの地点にあるメツァモール原子力発電所は運転中であったが、被害は受けずその後も正常な運転を継続していた。しかし、この地震をきっかけに同原子力発電所は一時的に閉鎖されることになった。
この地震は、北のユーラシアプレートと北進するアラビアプレートとが衝突する場所で起こったとみられ、震源付近では落差2mの断層が生じた。
脚注
[編集]- ^ “M 6.8 - Armenia”. United States Geological Survey. 2017年10月19日閲覧。
- ^ [1]アメリカ海洋大気庁、2017年8月11日閲覧。
- ^ Spitak 1988 Earthquakeアルメニア国家耐震保護調査 2017年8月28日閲覧。
関連項目
[編集]- en:Armenian Earthquake (Sogoyan)
- 地震の年表
- コーカサス地域の地震一覧(アルメニアも含むコーカサス地方の地震一覧)