アルマンド・マンサネーロ
アルマンド・マンサネーロ | |
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基本情報 | |
出生名 | Armando Manzanero Canché |
生誕 |
1935年12月7日 メキシコ、ティクル |
出身地 | メキシコ |
死没 |
2020年12月28日 (85歳没) メキシコシティ |
ジャンル | ラテン音楽 |
職業 | 作曲家・歌手 |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1950–2020 |
レーベル | RCA Victor |
公式サイト | http://www.armandomanzanero.com.mx/ |
アルマンド・マンサネーロ・カンチェ(Armando Manzanero Canché, 1935年12月7日 - 2020年12月28日)は、メキシコ出身のポピュラー音楽の作曲家・歌手。「アドロ」の作曲家として有名である。
略歴
[編集]1935年12月7日に、メキシコのユカタン州メリダに生まれる。先住民のマヤ人の子孫としているサイトもある[1]。
1950年に、自作の曲の "Nunca en el mundo" (意味:この世に何もない)を発表するが、この曲は様々な言語による21種類の歌詞がつけられるほど、後に注目を集めることとなる。そのころより、ピアニストとしての仕事につく。1957年、CBSインターナショナルのメキシコ支部の音楽担当のマネージャーに就く。1958年、ラテン音楽の有名アーティストの伴奏ピアニストとしての活動を始める。1959年に、"Mi Primera Grabación" (意味:私の初のレコード録音)という名での初のレコードをリリースする。また、歌手としての活動にも注目も集まる。
1965年の、アメリカ合衆国のマイアミのフェスティバル・デ・ラ・カンシォン(Festival de la Canción)で、"Cuando Estoy Contigo" (意味:二人でいるとき)で第一位をとる。1967年に、""Adoro" (アドロ)を発表するが、この曲は、日本では、グラシェラ・スサーナの歌として有名になり、イージーリスニングの曲としても有名である。
1970年に、"Somos novios" (意味:私たちは新婚) がシド・ウェイン (Sid Wayne)によって英語の歌詞がつけられ、"It's impossible" として、エルビス・プレスリー (Elvis Plesley)) ら有名アーティストがカヴァーするが、ペリー・コモ (Perry Como) の歌唱が、グラミー賞にノミネートされる。別のアメリカ人作曲家によって、アルマンド・マンサネーロの方が、著作権を侵害したとして訴えられ、アメリカ国内での民事裁判の評決は、マンサネーロの側に著作権料を返還する義務を負わせた。この曲は、アルマンド・マンサネーロが作曲したものであり、民事訴訟の判決が誤りであると、後に認定されている。
1978年に、スペインのマジョルカ音楽祭において、"Señor Amor" で第一位を勝ち得る。通算して、400以上の曲を作曲している。これらの曲について、自作自演も注目が集められるものの、フランク・シナトラ (Frank Sinatra)ら超大物歌手も含め、多くの歌手によるカヴァーにも人気を集めていた。
2020年12月28日、2019新型コロナウイルス感染症に伴う腎不全などの合併症により、メキシコシティの病院で死去[2][3][4]。85歳没。
有名な作品
[編集]- アドロ Adoro
- 私たちは恋人同士 Somos Novios
- あなたから学んだ Contigo aprendí
- 雨のつぶやき Esta tarde vi llover
- 明かりを消そう Voy a apagar a luz
脚注
[編集]- ^ Armando Manzanero - Wikipedia
Armando Manzanero Canché (born in Mérida, Mexico on December 7, 1935) is a Mexican musician and composer of Maya descent - ^ “歌手、マンサネーロさん死去 メキシコ、ヒット曲「アドロ」”. 共同通信社. (2020年12月29日) 2020年12月29日閲覧。
- ^ “Murió Armando Manzanero a los 85 años de edad” (スペイン語). Azteca Noticias (2020年12月28日). 2020年12月28日閲覧。
- ^ アルマンド・マンサネーロ氏がコロナ感染で死去 85歳 メキシコを代表する歌手&作曲家 - Sponichi Annex 2020年12月29日