アルブレヒト (ザクセン=アイゼナハ公)
表示
アルブレヒト Albrecht | |
---|---|
ザクセン=アイゼナハ公 | |
在位 | 1640年 - 1644年 |
出生 |
1599年7月27日 神聖ローマ帝国 ザクセン=ヴァイマル公領、アルテンブルク |
死去 |
1644年12月20日(45歳没) 神聖ローマ帝国 ザクセン=アイゼナハ公領、アイゼナハ |
配偶者 | ドロテア・フォン・ザクセン=アルテンブルク |
父親 | ザクセン=ヴァイマル公ヨハン2世 |
母親 | ドロテア・マリア・フォン・アンハルト |
宗教 | キリスト教ルター派 |
アルブレヒト(4世)(ドイツ語:Albrecht (IV.), 1599年7月27日 - 1644年12月20日)は、ザクセン=アイゼナハ公(在位:1640年 - 1644年)。
生涯
[編集]アルブレヒトは、ザクセン=ヴァイマル公ヨハン2世とドロテア・マリア・フォン・アンハルトの七男として生まれた。成人した男子としては4番目にあたる。
アルブレヒトは元帥フリードリヒ・フォン・コスポトから最初に教育を受けた。その後、兄弟と共にイェーナ大学で学んだ。
1619年から1621年にかけて、弟ヨハン・フリードリヒと共にグランドツアーに出かけ、フランスを訪れた[1]。
1621年に帰国した後、アルブレヒトは1626年まで統治に専念し、また、不在の兄弟たちの摂政として統治を行った。
1633年6月24日にヴァイマルにおいて、ザクセン=ヴァイマル公フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の娘で従姉妹にあたるドロテア・フォン・ザクセン=アルテンブルクと結婚した[1]。しかし2人の間に子供は生まれなかった。
アルブレヒトは兄弟と締結した分割条約に従い、1640年にアイゼナハを受け取った[1]。アルブレヒトはその4年後に死去し、その領地は1645年に兄弟で分割された[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d August Beck (1875). "Albrecht, Herzog von Sachsen-Eisenach". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 1. Leipzig: Duncker & Humblot. p. 319.