アルバート・ウォルステッター
アルバート・ウォルステッター(Albert Wohlstetter、1913年12月19日 - 1997年1月10日)は、アメリカ合衆国の核戦略研究家。シカゴ大学教授。
フェイルセーフの概念を提唱して冷戦下の国防・外交戦略に影響を及ぼす一方で、ポール・ウォルフォウィッツやリチャード・パールなど後にネオコンと呼ばれる政治家や戦略研究家を育てた。
妻のロバータ・ウォルステッターは、軍事史家。
略歴
[編集]ニューヨークで富裕なユダヤ系の一家に生まれる。ニューヨーク市立大学シティカレッジに進学して、数理論理学を専攻。在学中、科学哲学誌に寄稿して、彼の論文を評価したアルベルト・アインシュタインに招かれた。その一方でトロツキストの活動に参加[1]、この時アメリカ共産党・更にはソ連共産党を批判した経験が、その後の彼の対ソ観に長く影響を与えることになった。
大学卒業後は研究所勤務を経て、第二次世界大戦に従軍。戦後、住宅会社を経営するが経営破綻したため、妻が勤務していたランド研究所に職を得る。ランドでは対ソ防衛戦略の策定に従事し、核攻撃の際には幾つかのチェックポイントを経ない限りは実行されないフェイルセーフの概念を提唱。前線基地からの先制攻撃一辺倒だった国防戦略に、大きな修正を迫った。また、ソ連が人工衛星打ち上げに成功したことを切っ掛けとしてミサイル・ギャップの論争が巻き起こった際には、『フォーリン・アフェアーズ』誌に「際どい恐怖の均衡」なる論文を発表、アイゼンハワー政権の国防政策を批判し今日のミサイル防衛の概念を提唱した。
1963年にランドを辞職し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)を経て1965年にシカゴ大学教授となる。ニクソン政権がソ連へのデタントに踏み出した際には、ロビイスト団体「現在の危機に関する委員会(CPD)」を本拠に如何なる軍縮協定や妥協に反対を表明。彼の唱えた強硬策は党派を超えて支持を獲得し、ロナルド・レーガン政権下では外交政策の基本方針としてその多くが採用された。
著書
[編集]- Nuclear policies: fuel without the bomb: a policy study of the California Seminar on Arms Control and Foreign Policy, Albert Wohlstetter, et al., Ballinger Pub. Co., 1978.
- Swords from plowshare: the military potential of civilian nuclear energy, Albert Wohlstetter, et al., University of Chicago Press, 1979.
- Swords and shields: NATO, the USSR, and new choices for long-range of fense and defense, edited by Fred S. Hoffman, Albert Wohlstetter, David S. Yost, Lexington Books, 1987.
参考文献
[編集]- アレックス・アベラ『ランド 世界を支配した研究所』 牧野洋訳、文藝春秋、2008年/文春文庫、2011年
- ロバータ・ウォルステッター『パールハーバー 警告と決定』 北川知子訳、日経BP社<日経BPクラシックス>、2019年。ISBN 978-4822289782
- ロベルタ・ウールステッター『パールハーバー トップは情報洪水の中でいかに決断すべきか』 岩島久夫・岩島斐子訳、読売新聞社、1987年。旧訳版
脚注
[編集]- ^ Heilbrunn, Jacob (6 January 2009). They Knew They Were Right: The Rise of the Neocons. ISBN 9780307472489.