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アルキシュ・テムル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルキシュ・テムルモンゴル語: Arqiš temür、? - 1256年)は、モンゴル帝国に仕えたウイグル人の一人。『元史』における漢字表記は阿里乞失帖木児(ālǐqǐshī tièmùér)。

概要

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アルキシュ・テムルは初期のモンゴル帝国に仕えたウイグル人の一人のタブンの息子で、父の引退後に地位を継承して興平等処行省都元帥となった。刑罰は軽く徭役は薄くして民の負担を軽くしたとされる。高麗侵攻に従軍して功績を挙げたが、1256年丙辰)に亡くなった[1]

アルキシュ・テムルの死後はその息子のアダイが後を継ぎ、第4代皇帝モンケの治世下で平灤路総管府・平灤路ダルガチなどを歴任した[2]。モンケの死後も引き続きその弟のクビライに仕え[3]ナヤンの乱鎮圧に功績を挙げたことが記録されている[4]。アダイの地位は息子のデルヴィシュが継いだ。

脚注

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  1. ^ 『元史』巻124列伝11塔本伝,「阿里乞失帖木児、嗣父職、為興平等処行省都元帥。其為治一遵先政、興学養士、軽刑薄徭、雖同僚不敢私役一民。従大軍伐高麗有功。歳丙辰卒。贈宣忠輔義功臣・栄禄大夫・平章政事・柱国、追封営国公、諡武襄。子阿台」
  2. ^ 『元史』巻124列伝11塔本伝,「阿台、当襲父職、適罷行省為平灤路総管府、丁巳、憲宗命阿台為平灤路達魯花赤。始至、請蠲銀・塩・酒等税課八之一、細民不徴」
  3. ^ 『元史』巻124列伝11塔本伝,「世祖即位、來朝、錫金虎符。諸侯王道出平灤、供給費銀七千五百両、戸部不即償、阿台自陳上前、尽取償以帰。置甲乙籍、籍民丁力、民甚便之。至元十年、進階懐遠大将軍。歳饑、発粟賑民、或持不可、阿台曰『朝廷不允、願以家粟償官』。於是全活甚衆。僚属始至、阿台必遺之塩・米・羊畜・什器、曰『非有他也、欲其不剥民耳』。姻族窮者、月有常給。民有喪不能葬者、与之棺槨・布帛・資糧。灤為孤竹故国、乃廟祀伯夷・叔斉、以励風俗」
  4. ^ 『元史』巻124列伝11塔本伝,「二十一年、進昭武大将軍。二十四年、乃顔叛、献馬五百匹佐軍、世祖大喜。已而得乃顔銀甕、亟以賜之。二十五年入朝、以疾卒。賜宣力功臣・資徳大夫・中書右丞・上護軍、追封永平郡公、諡忠亮。子迭里威失」

参考文献

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  • 元史』巻124列伝11塔本伝