アリー・ヴァースブ・オスマンオウル
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アリー・ヴァースブ | |
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オスマン家 | |
出生 |
1903年10月14日 オスマン帝国、イスタンブール、オルタキョイ、チュラーン宮殿 |
死去 |
1983年12月9日(80歳没) エジプト、アレクサンドリア |
埋葬 |
2007年(改葬) トルコ、イスタンブール、エユップ、スルタン・レシャト廟(改葬) |
配偶者 | エミネ・ミュクビレ |
子女 | オスマン・セラハディン |
父親 | アフメト・ニハト |
母親 | サフィル・ハヌム |
アリー・ヴァースブ・オスマンオウル(Ali Vâsıb Osmanoğlu、1903年10月14日 - 1983年12月9日)は、オスマン帝国の帝家であったオスマン家の第41代家長で、帝位(パーディシャーおよびカリフ)請求者(請求期間:1977年 - 1983年)。
生涯
[編集]オスマン帝国第33代皇帝のムラト5世の孫息子で第38代家長のアフメト・ニハト皇子とその第1夫人サフィル・ハヌム(Safiru Hanım)の間の一粒種として、イスタンブールのチュラーン宮殿で生まれた。1977年にメフメト・アブデュルアズィズから家長の座を継ぎ、名目上の皇帝「アリー1世(I. Ali)」を名乗った。1983年にアレクサンドリアで没した。遺骸は2007年にイスタンブールのエユップ地区にあるスルタン・レシャト廟に改葬された。
1931年にメフメト5世の三男エメル・ヒルミー(Ömer Hilmi Efendi)皇子の娘エミネ・ミュクビレ(Emine Mükbile)と結婚し、間に一人息子のオスマン・セラハディン(1940年 - )をもうけた。
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