アリー・アラタス
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アリー・アラタス(Ali Alatas, 1932年11月4日 - 2008年12月11日)はインドネシアの外交官である。1988年から1999年まで外務大臣を務めた。
出自
[編集]インドネシア・ジャカルタ生まれではあるが、南アラビアのハドラマウトから移住してきたアラブ移民(ハドラミー)の子孫である。父アブドゥッラーは蘭領東インド時代の人民議会(Volksraad)の議員であった。血統はイスラームの予言者ムハンマドまでさかのぼることができる。
経歴
[編集]1954年、22歳で外務省入り[1]。1982年、インドネシアの国連大使に任命され、一時は国際連合事務総長のポストも取り沙汰されていた。1988年3月、インドネシア外務大臣に就任し、スハルト政権下で3期、ハビビ政権下で1期務めた[1]。ASEAN憲章制定に重要な役割を果たし、ASEAN賢人会議のメンバーにも選ばれた[1][2]。東南アジア地域の紛争地域で和平交渉を行うこともあり[3]、カンボジア和平や東ティモール独立に役割を果たした。[1]。2003年には国連特使に任命され、2005年8月18日から3日間ミャンマーに滞在し、アウンサンスーチーの解放に向けた調停を行った。
2008年12月11日、脳卒中の治療のため滞在していたシンガポールのマウントエリザベス病院にて、心筋梗塞のため76歳で死去した[1][4]。
参考文献
[編集]- ^ a b c d e 井田純 (2008年12月11日). “訃報:アリ・アラタスさん76歳=元インドネシア外相”. 毎日新聞 2009年1月5日閲覧。
- ^ Reme, Soeriaatmadja (2008-12-12), “Alatas, strong advocate of Asean, dies” (英語), Straits Times (Singapore)
- ^ “A good friend of Singapore” (英語), Today (Singapore), (2008-12-12) 2008年12月19日閲覧。
- ^ 外務省 (2008年12月11日). “アリ・アラタス元インドネシア共和国外務大臣の逝去について”. 2009年1月5日閲覧。
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