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アリク・デン・イリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリク・デン・イリ
アッシリア王
在位 前1307年-前1296年

子女 アダド・ニラリ1世
父親 エンリル・ニラリ
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アリク・デン・イリArik-den-ilimGÍD-DI-DINGIR、「神の裁定は長く続く[1]」、在位:前1319年-前1308年、または前1307年-前1296年、低年代説英語版)は中アッシリア時代(前1366年-前1050年)のアッシリア王。父であるエンリル・ニラリの跡を継いで王となり12年間統治した。彼はアッシリアの伝統となる毎年の隣国遠征を開始した王である。

来歴

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アリク・デン・イリの治世に関する史料は限られており、10に満たない碑文、断片的な年代記、息子[i 1]、または兄弟[i 2][i 3]であるアダド・ニラリ1世の記録による彼の事績への言及などしかない。彼はアッシリアの慣行となった毎年の軍事遠征を開始した王であると思われる[2]。遠征の内のいくらかは、ほとんど変わらない家畜略奪遠征であったと見られ、年代記には「100頭のヒツジとヤギ、および100頭のウシ[...]彼はアッシュールに運んだ」と述べられている[3]

アリク・デン・イリの最初尾の勝利は東の隣国トゥルック英語版ニギミ英語版(後にペルシアになる地方の前イラン時代の住民)に対するもの、および(ザグロス)山地と高地の全ての首長たちに対するものであり、アッシリアの北部および東部の国境にいた遊牧民を征服した[4]。ニギミの支配者はエシニ英語版であった。アッシリア人はエシニを侵略して収穫物を奪いさり、それに対する報復としてエシニは軍を率いてアッシリアに進軍したが、敗北し彼の軍勢は殺戮された。アリク・デン・イリはエシニが逃げ隠れたアルヌナ英語版の町を包囲した。門と市壁が破壊されたことでエシニは降伏に追い込まれ、アリク・デン・イリへの忠誠を誓った[5]

アリク・デン・イリの年代記には、この後、ハバルハ(Habaruha)、クティラ英語版タルビスレマク(Remaku)、Nagabbilhiがリストされている。これらの地名のうち、ニネヴェに程近いタルビスのみが位置がわかっている。また、Halahhuの住民はアリク・デン・イリの怒りの矛先を向けられたらしく、彼はその住民を254,000人殺したと主張している。この数値はこの当時においてもかなり荒唐無稽な誇張である[3]。アリク・デン・イリはその後西側に目を向け、レヴァント(現在のシリアおよびレバノン)に入った。彼はユーフラテス川中流域のKatmuḫi地方の、遊牧部族のストゥ人英語版[訳語疑問点]アフラム人英語版[訳語疑問点]ヤウル人(Yauru[訳語疑問点])を打ち負かしここを平定した[5]

アリク・デン・イリの活動は戦争に限定されたものではない。アッシュール市のシャマシュ神殿は泥レンガで作られていたため朽ちて泥の塚と化し、その場しのぎの社で囲まれていた。「我が地に豊穣をもたらすために」彼は残骸を片付けてシャマシュ神殿を再建した。アダド・ニラリ1世は自らが捧げた建築物において、アッシュール神の大ジッグラトの建設をアリク・デン・イリのものとしている[5]

エンリル・ニラリのように、アリク・デン・イリはバビロニアとの決着のつかない戦いを行わなければならなかった。彼の時代の相手はバビロニアの支配者ナジ・マルッタシュ英語版であった。アダド・ニラリ1世はこの戦いについて「我が父はカッシートの地の王(バビロニア王)の軍勢によって加えられた災いを正すことができなかった」と叙事詩において振り返っている[4]。バビロニアとの戦いは最終的にアダド・ニラリ1世の勝利によって決着がつけられた。

史料

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  1. ^ Nassouhi list, iii 22–23: mdAdad-nārārī mār Arik2-˹de-en˺-[ili].
  2. ^ Khorsabad list, iii 16–24: mdAdad-nārārī aḫu-šú ša mArik2-dīn2-ili.
  3. ^ SDAS list, iii 17–18: mdAdad-nārārī aḫu-šú ša mArik2-dīn2-ili.

出典

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  1. ^ K. Fabritius (1998). K. Radner. ed. The Prosopography of the Neo-Assyrian Empire, Volume 1, Part I: A. The Neo-Assyrian Text Corpus Project. pp. 131–132 
  2. ^ A. Leo Oppenheim (1964). Ancient Mesopotamia: portrait of a dead civilization. University of Chicago Press 
  3. ^ a b ジャン=ジャック・グラスナー英語版 (2004). Mesopotamian Chronicles. Brill. p. 185 
  4. ^ a b I. E. S. Edwards, ed (1975). Cambridge Ancient History, Volume 2, Part 2, History of the Middle East and the Aegean Region, c. 1380-1000 BC. Cambridge University Press. pp. 32, 275 
  5. ^ a b c A. K. Grayson (1972). Assyrian Royal Inscriptions, Volume 1. Otto Harrassowitz. pp. 54–57, 58, 67 
先代
エンリル・ニラリ
アッシリア王
前1319年-前1308年
次代
アダド・ニラリ1世