アリエル・ラミレス
アリエル・ラミレス Ariel Ramírez | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 |
1921年9月4日 アルゼンチン、サンタフェ |
出身地 | アルゼンチン |
死没 | 2010年2月18日(88歳没) |
ジャンル | フォルクローレ、ミサ曲、サンバ |
職業 | 作曲家、ピアニスト |
アリエル・ラミレス(スペイン語: Ariel Ramírez, 1921年9月4日 - 2010年2月18日)は、アルゼンチンのサンタフェ生まれの作曲家。
発展と影響
[編集]サンタフェでピアノの勉強を始めてから、ほどなくして、ラミレスは山岳地帯のガウチョやクリオーリョの音楽に魅せられる。コルドバで引き続き音楽の勉強を続けていた時、アルゼンチンの誇るフォルクローレ歌手アタウアルパ・ユパンキと出会う。ユパンキのアドバイスで、からの提案の後で、彼はノルデスチを訪ね、南米の伝統的なリズムを研究する。一方でアカデミックな勉強も続け、同じ時期、ブエノスアイレスのアルゼンチン国立高等音楽院で作曲法を学ぶ。そして、1946年、RCAで最初のレコーディングを行った。
1950年から1954年にかけて、彼は、マドリード、ローマ、ウィーンに渡り、クラシック音楽の勉強をする。帰国してからは、400曲を超えるフォルクローレや流行歌を採取し、アリエル・ラミレス・フォルクローレ楽団を結成する。
作曲
[編集]テノール、混声合唱、打楽器、鍵盤楽器とアンデスの民族楽器のためのミサ曲『ミサ・クリオージャ』は、彼のもっとも有名な作品である。ミサ曲ではあるが、リズムはチャカレーラ、カルナバリート、エスティロ・パンペアーノといった南米の伝統的リズムに基づいている。歌詞も、第2バチカン公会議で使用が認められた現代語で書かれている(現代語の使用は、同時期に世界中で行われたが、この曲もそうした最初期の一曲)。
1963年から翌1964年にかけて作曲され、1964年に、ラミレス自身が監督、ロス・フロンテリーソス演奏で、フィリップスで録音された。(Phillips 820 39、LP、『アルゼンチンのクリスマス』を同時収録)。初演以後しばらく公演されなかったが、1967年には、ドイツのデュッセルドルフでの公演を皮切りにヨーロッパ・ツアーが行われ、パウロ6世の前でラミレス自身により演奏された。曲は一躍有名になり、ヨルゴス・ダラーラス(1989年)、ホセ・カレーラス(1990年)、メルセデス・ソーサ(1999年)をソリストに迎えた録音が相次いで行われる。
1990年代には、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでも公演された。1998年には、東京・サントリーホールで公演されている。このときのピアノ演奏はアリエル・ラミレス本人である。
また、フェリックス・ルーナの作詞、メルセデス・ソーサの歌による組曲『Mujeres Argentinas』(アルゼンチンの女たち)も代表的な作品である。
ラミレスはアルゼンチン音楽著作権協会(SADAIC)の会長を務めていた。
代表曲
[編集]- ミサ・クリオージャ Misa Criolla 1964年
- アルゼンチンのクリスマス Navidad Nuestra 1964年
- 巡礼 La Peregrinación 1964年
- 首領たち Los caudillos 1965年
- アルゼンチンの女たち Mujeres Argentinas 1969年(組曲)
- アルフォンシーナと海 Alfonsina y el Mar (「アルゼンチンの女たち」の中の一曲)
- ファナ・アスルドゥイ Juana Azurduy (「アルゼンチンの女たち」の中の一曲)
- 南アメリカのカンタータ Cantata Sudamericana 1972年
- 平和と正義のためのミサ Misa por la paz y la justicia 1980年
- 悲しみのサンバ La Tristecita
- 国境のクエッカ Cueca de la Frontera(ピアノ曲)
など(「器楽曲の「国境のクエッカ」を除き、いずれも作詞はフェリックス・ルーナ)