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アメリ・モレスモ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリ・モレスモ
Amélie Mauresmo
アメリ・モレスモ
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・サン=ジェルマン=
アン=レー
生年月日 (1979-07-05) 1979年7月5日(45歳)
身長 175cm
体重 69kg
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 2015年
ツアー経歴
デビュー年 1993年
引退年 2009年
ツアー通算 28勝
シングルス 25勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 637勝289敗
シングルス 545勝227敗
ダブルス 92勝62敗
生涯獲得賞金 $15,022,476
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(2006)
全仏 ベスト8(2003・04)
全英 優勝(2006)
全米 ベスト4(2002・06)
優勝回数 2(豪1・英1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(1999)
全仏 2回戦(1997・98)
全英 準優勝(2005)
全米 3回戦(1999)
国別対抗戦最高成績
BJK杯 優勝(2003)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(2004年9月13日)
ダブルス 9位(2006年6月26日)
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
2004 アテネ シングルス

アメリ・モレスモAmélie Mauresmo, 1979年7月5日 - )は、フランスサン=ジェルマン=アン=レー出身の女子プロテニス選手。2006年全豪オープンウィンブルドンで優勝し、4大大会女子シングルス2勝を挙げた選手である。WTAツアーでシングルス25勝、ダブルス3勝を挙げた。パワーテニスの代表的な選手のひとりとして知られ、独特な片手打ちバックハンド・ストロークを最大の武器にした。

来歴

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モレスモは4歳の時、1983年全仏オープンヤニック・ノアが地元選手として優勝した試合をテレビで見たことがきっかけでテニスを始めた。そのノアに見いだされてテニスの技量を伸ばし、1996年全仏オープンウィンブルドンのジュニア女子シングルス部門で連続優勝を飾る。地元大会の全仏オープンには、1995年にランキング700位台であったが予選の主催者推薦で出場して勝ち上がり、本大会にも出場していた。1998年から世界の舞台で頭角を現し始める。

1999年全豪オープンで、モレスモは世界ランキング29位のノーシードから決勝戦まで勝ち進み、大会3連覇を目指したマルチナ・ヒンギススイス)に 2-6, 3-6 で敗れて準優勝となった。決勝戦の直前に、ヒンギスがモレスモの私生活を中傷して「半分、男よ」とコメントしたことから、モレスモがレズビアンであることが発覚してしまう。全豪準優勝後の彼女は、長い間好不調の波の大きい選手だったが、2002年頃から世界ランキングトップ10に定着した。

2004年アテネ五輪で女子シングルスの銀メダルを獲得。決勝ではベルギー代表のジュスティーヌ・エナン=アーデンに 3-6, 3-6 で敗れた。この後、モレスモは2004年9月13日付で、フランス人の女子テニス選手として初めての世界ランキング1位を記録した。2005年は年間最終戦の「WTAツアー選手権」決勝で同じフランスのマリー・ピエルスを 5-7, 7-6, 6-4 で破り、フランス人の女子テニス選手として初めての優勝を飾った。

2006年ウィンブルドン選手権にて

2006年全豪オープンで、アメリ・モレスモは第3シードとして7年ぶり2度目の決勝進出を果たす。決勝戦の途中でジュスティーヌ・エナン=アーデンが棄権したため(スコア:モレスモの 6-1, 2-0 で棄権)、モレスモはついに宿願の4大大会初優勝を飾った。フランス人の女子テニス選手による4大大会シングルス優勝は、2000年全仏オープンを制したマリー・ピエルス以来になる。ピエルスは1995年全豪オープンの優勝者でもあり、フランス人女性の全豪オープン制覇は11年ぶりとなった。同年のウィンブルドンで再びエナン=アーデンと決勝対決し、全仏オープン優勝者のエナンを 2-6, 6-3, 6-4 の逆転で破って初優勝。モレスモ自身にとっては4大大会の年間2冠獲得達成と同時に、フランス人の女子テニス選手として1925年スザンヌ・ランラン1899年 - 1938年、ウィンブルドン選手権に1920年から1925年まで6連覇を達成)以来、実に81年ぶりの優勝となった。この偉業により、モレスモは2007年にフランスのシラク大統領からレジオンドヌール勲章を授与された。

2007年から、モレスモのテニス成績は下降線をたどり始めた。同年の全豪オープン4回戦と全仏オープン3回戦でルーシー・サファロバチェコ)に2連敗を喫した後は、4大大会シングルスでベスト8以上に勝ち残れなくなった。最後のシングルス優勝は、2009年2月のパリ・インドア大会であった。2009年全米オープン2回戦でアレクサンドラ・ウォズニアクカナダ)に 4-6, 0-6 で敗れた試合が、現役最後のトーナメント出場になった。3か月後の2009年12月3日、モレスモは30歳で競技生活からの引退を表明した[1]

モレスモはダブルスでも、2005年ウィンブルドンの女子ダブルスでスベトラーナ・クズネツォワロシア)と組んだ準優勝がある。クズネツォワとは2006年6月中旬のイーストボーン大会と2009年3月末のソニー・エリクソン・オープンのダブルスで優勝した。

アメリ・モレスモは女子テニス国別対抗戦・フェドカップフランス代表選手としても、1998年から現役引退の2009年まで代表を務め、シングルスでチーム歴代1位記録となる「30勝9敗」の成績を挙げた。彼女自身は、2003年にフランス・チームのフェド杯優勝に貢献した。

2013年からフェドカップのフランス代表監督に就任している。2014年6月から2015年まで男子のアンディ・マリーのコーチも務めた[2]

モレスモは2015年に国際テニス殿堂入りを果たした[3]。2015年8月第1子の長男を出産した。

WTAツアー決勝進出結果

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シングルス: 48回 (25勝23敗)

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大会グレード
2008年以前 2009年以後
グランドスラム (2–1)
オリンピック (0-1)
WTAファイナルズ (1–2)
ティア I (6–5) プレミア・マンダトリー (0-0)
プレミア5 (0-0)
ティア II (14–12) プレミア (1–0)
ティア III (0–2) インターナショナル (0–0)
ティア IV & V (1–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1998年5月11日 ドイツの旗 ベルリン クレー スペインの旗 コンチタ・マルティネス 4–6, 4–6
準優勝 2. 1999年1月30日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード スイスの旗 マルチナ・ヒンギス 2–6, 3–6
準優勝 3. 1999年2月22日 フランスの旗 パリ カーペット (室内) アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 2–6, 6–3, 6–7(4)
優勝 1. 1999年10月18日 スロバキアの旗 ブラチスラヴァ ハード (室内) ベルギーの旗 キム・クライシュテルス 6–3, 6–3
優勝 2. 2000年1月11日 オーストラリアの旗 シドニー ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 7–6(2), 6–4
準優勝 4. 2000年5月1日 クロアチアの旗 ボル クレー スロバキアの旗 ティナ・ピズニック 6–7(4), 6–7(2)
準優勝 5. 2000年5月15日 イタリアの旗 ローマ クレー アメリカ合衆国の旗 モニカ・セレシュ 2–6, 6–7(4)
優勝 3. 2001年2月5日 フランスの旗 パリ カーペット (室内) ドイツの旗 アンケ・フーバー 7–6(2), 6–1
優勝 4. 2001年2月18日 フランスの旗 ニース カーペット (室内) ブルガリアの旗 マグダレナ・マレーバ 6–2, 6–0
優勝 5. 2001年4月9日 アメリカ合衆国の旗 アメリアアイランド クレー 南アフリカ共和国の旗 アマンダ・クッツァー 6–4, 7–5
優勝 6. 2001年5月7日 ドイツの旗 ベルリン クレー アメリカ合衆国の旗 ジェニファー・カプリアティ 6–4, 2–6, 6–3
準優勝 6. 2001年5月14日 イタリアの旗 ローマ クレー セルビア・モンテネグロの旗 エレナ・ドキッチ 6–7(3), 1–6
優勝 7. 2002年2月18日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード フランスの旗 サンドリーヌ・テスチュ 6–4, 7–6(3)
優勝 8. 2002年8月12日 カナダの旗 モントリオール ハード アメリカ合衆国の旗 ジェニファー・カプリアティ 6–4, 6–1
準優勝 7. 2003年2月3日 フランスの旗 パリ カーペット (室内) アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 3–6, 2–6
優勝 9. 2003年4月28日 ポーランドの旗 ワルシャワ クレー アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ 6–7(6), 6–0, 3–0 途中棄権
準優勝 8. 2003年5月12日 イタリアの旗 ローマ クレー ベルギーの旗 キム・クライシュテルス 6–3, 6–7(3), 0–6
準優勝 9. 2003年9月29日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) ロシアの旗 アナスタシア・ミスキナ 2–6, 4–6
優勝 10. 2003年10月27日 アメリカ合衆国の旗 フィラデルフィア ハード (室内) ロシアの旗 アナスタシア・ミスキナ 5–7, 6–0, 6–2
準優勝 10. 2003年11月3日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード (室内) ベルギーの旗 キム・クライシュテルス 2–6, 0–6
準優勝 11. 2004年1月12日 オーストラリアの旗 シドニー ハード ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 4–6, 4–6
準優勝 12. 2004年4月5日 アメリカ合衆国の旗 アメリアアイランド クレー アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 4–6, 4–6
優勝 11. 2004年5月3日 ドイツの旗 ベルリン クレー アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ 不戦勝
優勝 12. 2004年5月10日 イタリアの旗 ローマ クレー アメリカ合衆国の旗 ジェニファー・カプリアティ 3–6, 6–3, 7–6(6)
優勝 13. 2004年8月2日 カナダの旗 モントリオール ハード ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ 6–1, 6–0
準優勝 13. 2004年8月16日 ギリシャの旗 アテネ五輪 ハード ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 3–6, 3–6
準優勝 14. 2004年10月4日 ドイツの旗 フィルダーシュタット ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 2–6, 途中棄権
優勝 14. 2004年10月18日 オーストリアの旗 リンツ ハード (室内) ロシアの旗 エレーナ・ボビナ 6–2, 6–0
優勝 15. 2004年10月25日 アメリカ合衆国の旗 フィラデルフィア ハード (室内) ロシアの旗 ベラ・ズボナレワ 3–6, 6–2, 6–2
準優勝 15. 2005年2月7日 フランスの旗 パリ カーペット (室内) ロシアの旗 ディナラ・サフィナ 4–6, 6–2, 3–6
優勝 16. 2005年2月14日 ベルギーの旗 アントワープ カーペット (室内) アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ 4–6, 7–5, 6–4
優勝 17. 2005年5月9日 イタリアの旗 ローマ クレー スイスの旗 パティ・シュナイダー 2–6, 6–3, 6–4
準優勝 16. 2005年8月22日 アメリカ合衆国の旗 ニューヘイブン ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 4–6, 4–6
準優勝 17. 2005年10月3日 ドイツの旗 フィルダーシュタット ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 2–6, 4–6
優勝 18. 2005年10月31日 アメリカ合衆国の旗 フィラデルフィア ハード (室内) ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 7–5, 2–6, 7–5
優勝 19. 2005年11月13日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード (室内) フランスの旗 マリー・ピエルス 7–5, 6–7(3), 4–6
優勝 20. 2006年1月28日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 6–1, 2–0 途中棄権
優勝 21. 2006年2月12日 フランスの旗 パリ カーペット (室内) フランスの旗 マリー・ピエルス 6–1, 7–6(2)
優勝 22. 2006年2月19日 ベルギーの旗 アントワープ カーペット (室内) ベルギーの旗 キム・クライシュテルス 3–6, 6–3, 6–3
準優勝 18. 2006年2月27日 カタールの旗 ドーハ ハード ロシアの旗 ナディア・ペトロワ 3–6, 5–7
優勝 23. 2006年7月8日 イギリスの旗 ウィンブルドン ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 2–6, 6–3, 6–4
準優勝 19. 2006年9月18日 中華人民共和国の旗 北京 ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ 6–4, 6–0
準優勝 20. 2006年11月6日 スペインの旗 マドリード ハード (室内) ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 4–6, 3–6
優勝 24. 2007年2月18日 ベルギーの旗 アントワープ カーペット (室内) ベルギーの旗 キム・クライシュテルス 6–4, 7–6(4)
準優勝 21. 2007年2月19日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン 4–6, 5–7
準優勝 22. 2007年5月21日 フランスの旗 ストラスブール クレー スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス 4–6, 6–4, 4–6
準優勝 23. 2007年6月18日 イギリスの旗 イーストボーン ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン 5–7, 7–6(4), 6–7(2)
優勝 25. 2009年2月15日 フランスの旗 パリ ハード (室内) ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 7–6(7), 2–6, 6–4

ダブルス: 4回 (3勝1敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2000年10月22日 オーストリアの旗 リンツ カーペット (室内) アメリカ合衆国の旗 チャンダ・ルビン 日本の旗 杉山愛
フランスの旗 ナタリー・トージア
6–4, 6–4
準優勝 1. 2005年7月3日 イギリスの旗 ウィンブルドン ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ ジンバブエの旗 カーラ・ブラック
南アフリカ共和国の旗 リーゼル・フーバー
2–6, 1–6
優勝 2. 2006年6月16日 イギリスの旗 イーストボーン ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ 南アフリカ共和国の旗 リーゼル・フーバー
アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ
6–2, 6–4
優勝 3. 2009年4月5日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ チェコの旗 クベタ・ペシュケ
アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
4–6, 6–3, [10–3]

4大大会優勝

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  • 全豪オープン 女子シングルス:1勝(2006年) [同部門準優勝1度:1999年]
  • ウィンブルドン 女子シングルス:1勝(2006年) [女子ダブルス準優勝1度:2005年]
大会 対戦相手 試合結果 備考
2006年 全豪オープン ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 6-1, 2-0 エナン=アーデンの途中棄権
2006年 ウィンブルドン ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 2-6, 6-3, 6-4 フランス人女子選手81年ぶりの優勝

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 通算成績
全豪オープン A LQ LQ 3R F 2R 4R QF A QF QF W 4R 3R 3R 38–9
全仏オープン 1R 2R 2R 1R 2R 4R 1R 4R QF QF 3R 4R 3R 2R 1R 25–15
ウィンブルドン A A LQ 2R A 1R 3R SF A SF SF W 4R 3R 4R 33–9
全米オープン A A A 3R 4R A QF SF QF QF QF SF A 4R 2R 35–10

: 2004年全豪の不戦敗は通算成績に含まない

脚注

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外部リンク

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