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アポロ (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アポロ
欧字表記 Apollo
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1879年
死没 1887年
Ashstead or Lever
Rebecca T. Price
母の父 The Colonel
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Daniel Swigert
馬主 Green B. Morris and James Patton
調教師 Green B. Morris
競走成績
生涯成績 55戦24勝[1]
獲得賞金 21,680ドル[1]
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アポロApollo1879年 - 1887年)は、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬。3歳春の遅いデビューながら、1882年ケンタッキーダービーに優勝した。2歳戦を使わずにケンタッキーダービーを制する馬が長らく出なかったため、同馬にかけて「アポロの呪い」と呼ばれるきっかけとなった。

経歴

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エルメンドルフファームの所有者であるダニエル・スワイガートが生産したサラブレッドの一頭である。スワイガートは母馬となるレベッカティープライスを、アシュステッド(Ashstead)とレバー(Lever)という2頭の種牡馬と同じ年に交配させた。このため、生まれたアポロの父はどちらであるか不明であり、資料によっては併記されていたり、片方だけ載せられたりしている。ケンタッキー・ライブストック・レコード誌の記録によれば「体高60.5インチ(約153.6センチメートル)、左後一白。やや大きめで顔は長く、あごが広く、頑丈な首が肩に繋がっており、キ甲は高く、胸は広く、体長は長く、腰は弓なり、四肢ものびやかで、特に尻がよく、また脚も骨が太い」という特徴を備えた馬であったという[c 1]

2歳時は怪我の影響で競走ができず、その間にスワイガートはアポロをグリーン・B・モリス調教師とジェームズ・パットンの両名に売却した。以後、アポロはモリスの管理下で競走馬として調教を受けた。アポロのデビュー戦は3歳になった1882年4月11日ニューオーリンズで行われたピックウィックステークス(10ハロン・約2011メートル)で、2着であった[c 2]。それから1週間後の古馬混合のヒート競走(8ハロン・約1609メートル)で2着2回、26日に迎えたコットリルステークス(12ハロン・約2414メートル)で初勝利を挙げた[2][c 2]

5月16日に迎えたケンタッキーダービーにおいては、断然人気のラニーミードがブックメーカーのオッズでは単勝1.8倍のオッズ[1]を付けられていた一方、アポロはブックメーカーが11倍、競馬場の公式オッズではフィールド[注 1]扱いで7倍、単体だと34倍という大穴扱いであった[c 3]。人気になっていたラニーミードは度々馬群に包まれる不利を受けながらも先頭に立ち、一方でB・ハード騎手を背にしたアポロは前半は中団に位置し、徐々に順位を上げていった。最後の直線に入ったところで先行していたラニーミードに迫る3番手にまで進出、猛然と追いかけてラニーミードを半馬身差捉えてゴール、大穴を空けて優勝した[1][c 2]

アポロとラニーミードは6日後のクラークステークスで再び対戦しているが、ここではラニーミードが「キャンターで走ったかのよう」と評されるほど楽勝したのに対して、アポロは10馬身以上離された3着に終わった[c 1][3]。3歳時は21戦して10勝、ケンタッキーダービーのほかにコールステークス、セントレジャーステークスなどで勝っている[1]。その後、4歳時は30戦14勝、5歳時は4戦0勝で引退している[1]

ケンタッキーダービーから数年後、S・S・ブラウン大尉という人物の発言により、アポロの勝利は疑義に晒された。これは、早いうちからケンタッキーダービーの馬券販売を行っていたブックメーカーたちが首謀者とされ、すでに大量の掛け金を受け取っていたために、断然人気のラニーミードに勝たれると破滅もありうる彼らが仕組んだ、と考えられた[c 1]。調教師のモリスはギャンブラーで、当のダービーの賭けで1万ドルを儲けたと伝えられており、さらにラニーミードの馬主であったドワイヤー兄弟とも親しかったことが疑惑を深めた[c 1]。しかしそれ以上の進展はなく、以後も1882年のケンタッキーダービーはアポロの勝利と記録された。

ザ・サン』紙において、1887年11月30日に死亡が報じられる。死因は破傷風に伴う開口障害であった[4]

アポロの呪い

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2歳戦を経験せずにケンタッキーダービーを優勝した馬は、第8回の時点でアポロが初めてであったが、それ以後も3歳からデビューした馬でケンタッキーダービーに勝った馬は100年以上存在しなかった[5][6][7]

後年、カーリン[注 2]ボーディマイスター[注 3]のような3歳デビューの競走馬がケンタッキーダービーの有力候補に挙がることも珍しくなくなったが、それらが全て敗れているため、3歳デビュー唯一の優勝馬であった同馬の名を取ってアポロの呪い(curse of Apolloと呼ばれるジンクスと化していた[5][6][7]。1937年以降、2017年までに61頭の3歳デビュー馬が出走しているが、優勝馬0頭、2着3回、3着5回という結果に終わっている[5][6]。2018年、3歳デビューでケンタッキーダービーに挑んだジャスティファイが優勝し、136年目にしてアポロの呪いは打ち破られた[8]

勝てない理由には、競走回数の少なさからの経験不足、フルゲート20頭の多頭数の競馬に慣れていないことなどが考えられた[5]。また、アポロの時代とはケンタッキーダービーの環境が異なりすぎる[注 4]ことも指摘されている[9]

血統表

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上述の通り、アポロの父馬はどちらが正しいか不明で、血統表も資料により異なっている。以下は一例である。

  • 父をアシュステッドとするもの - equineline.com[10]
  • 父をレバーとするもの - 『The Kentucky Derby, Preakness and Belmont Stakes』[c 4]、Horse Telex Pedigree[11]、bogus.jp[12]
  • 併記されているもの - bloodlines.net[13]、kentuckyderby.com[1]

また、母父のザカーネル(The Colonel)という馬も同名馬が複数頭おり、これも血統表によってプライアム(Priam)を父に持つものと、アルビオン(Albion)を父に持つものが資料によって混同している。以下、equineline.comで使われているものを引用。

アポロ血統 (血統表の出典)[§ 1]

Ashstead
1865 鹿毛 イギリス
父の父
Vedette
1854 黒鹿毛 イギリス
Voltigeur Voltaire
Martha Lynn
Mrs. Ridgway Birdcatcher
Nan Darrell
父の母
Cowl Mare
1851 鹿毛 イギリス
Cowl Bay Middleton
Crucifix
Lanercost Mare Lanercost
The Nun

Rebecca T. Price
1858 栗毛 アメリカ
The Colonel
1836 栗毛 アメリカ
Priam Emilius
Cressida
My Lady Comus
Delpini Mare
母の母
Margrave Mare
1841 黒栗毛 アメリカ
Margrave Muley
Election Mare
Rosalie Somers Sir Charles
Mishief
母系(F-No.) (FN:A15) [§ 2]
5代内の近親交配 Praim3×5=15.63%、Orville5×5=6.25% [§ 3]
出典
  1. ^ [10]
  2. ^ [13]
  3. ^ [10]


脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 集計機械の都合などにより、他の馬とまとめてひとつの馬番として扱われること。カップリングの類例であるが、同陣営ではない馬たちも一緒くたにされるのが特徴的である。アポロの場合は6頭でひとまとめにされていた。
  2. ^ 2007年に3歳デビューして3連勝、ケンタッキーダービーでは1番人気だったが3着だった。
  3. ^ 2012年に3歳デビュー、アーカンソーダービー勝ちなどで人気を集めていたが、アイルハヴアナザーの2着に敗れた。
  4. ^ 当時のケンタッキーダービーは施行距離が1マイル1/2(約2414メートル)で、また定量戦ではなかった。さらに、ゲートやバリアーもない時代であった。

参考文献

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  • William H. P. Robertson (1964). The History of Thoroughbred Racing in America. Bonanza Books. ASIN B000B8NBV6 
  • Richard Sowers (2014). The Kentucky Derby, Preakness and Belmont Stakes: A Comprehensive History. Trade paperback. ISBN 9780786476985 
  • ジム・ボウラス(原著)、桧山三郎(翻訳)『ケンタッキー・ダービー・ストーリーズ』荒地出版社、1996年。ISBN 4-7521-0098-3 
  1. ^ a b c d ボウラス p.130
  2. ^ a b c ボウラス p.129
  3. ^ Robertson p.172
  4. ^ Richard Sowers p.28

出典

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  1. ^ a b c d e f g 1882”. kentuckyderby.com. 2019年4月17日閲覧。
  2. ^ Derby Watch: Apollo remains exception to rule” (英語). www.drf.com. 19 April 2018閲覧。
  3. ^ Contests on the Turf; Clark Day at the Races at Louisville.”. The New York Times (23 May 1882). 19 April 2018閲覧。
  4. ^ The Sun (New York) November 30, 1887
  5. ^ a b c d 【米GIケンタッキーダービー】3戦無敗ジャスティファイは「アポロの呪い」を解くか”. 東スポweb (2018年4月12日). 2018年4月23日閲覧。
  6. ^ a b c Will the ‘curse of Apollo’ finally be broken? Fans of Justify think so”. Las Vegas Review-Journal (2018年3月15日). 2018年4月23日閲覧。
  7. ^ a b The Kentucky Derby Curse of Apollo”. US Racing (2017年4月28日). 2018年4月23日閲覧。
  8. ^ Alicia Wincze Hughes (2018年5月5日). “Justify Conquers 'Curse of Apollo' in Kentucky Derby”. BloodHorse. 2018年5月10日閲覧。
  9. ^ Kentucky Derby 2018 Daily: On Apollo and his curse”. horseracingnation.com (2018年3月19日). 2018年4月23日閲覧。
  10. ^ a b c Apollo”. equineline.com. 2018年4月23日閲覧。
  11. ^ APOLLO XX”. Horse Telex Pedigree. 2018年4月23日閲覧。
  12. ^ 血統表 Apollo”. bogus.jp. 2018年4月23日閲覧。
  13. ^ a b Miss Bell - Family A15”. www.bloodlines.net. 2018年4月23日閲覧。