アベル・ゲリノー
アベル・ゲリノー | |
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生誕 |
1841年2月18日 フランスメーヌ=エ=ロワール県アンジェ2区 |
死没 | 1929年 |
国籍 | フランス |
出身校 | エコール・デ・ボザール建築セクション |
職業 | 建築家 |
配偶者 | ルイーズ・ゴルジュラ |
親 | Urbain Guérineau、Jeanne Féraud |
受賞 | 第98回フランス芸術家協会展覧会建築部門2等賞 |
所属 | 陸軍士官学校 |
建築物 | Palacio Cousiño-Goyenechea |
著作 | 『日本国築造、装飾図』 |
アベル・ジャン=ルイ・ゲリノー(Abel Jean-Louis Guérineau、1841年2月18日 - 1929年)は、19世紀のフランスの建築家。明治時代の日本に渡り、お雇い外国人として陸軍士官学校で図画を教えた後、パリで日本建築の紹介に努めた。チリでも活動した。
生涯
[編集]修学
[編集]1841年2月18日、フランスメーヌ=エ=ロワール県アンジェの現在の第2区界隈で生まれた[3]。1861年エコール・デ・ボザール建築セクションに入学して下級課程に在籍し、ルイ・ルノルマンとアレクサンドル・ニコラ・デュ=ボワのアトリエに所属したが、入学直後にルノルマンが死去し、専らデュ=ボワに師事した[1]。フランス軍で中尉に進んだ[1]。
訪日
[編集]1874年(明治7年)4月5日、第二次フランス軍事顧問団が活動する日本に渡り、11日陸軍省に建築科教師として雇われ、陸軍士官学校建築学科で図学を教えた[1]。屋敷は富士見町招魂社境内に与えられた[4][5]。川上冬崖・小山正太郎・近藤正純・河北道介・榎本正忠・鈴木雪村・小平狭山・久保嘉門・横山松三郎等の日本人教師や、松岡寿等の聴香読画館関係者に西洋図画を指導し、洋画や写真法も教授した[1]。
陸軍士官学校で使用した図学・数学課教科書には、アレクサンドル・ル・ベアール『水彩・装飾線描理論・実践講義』[6]とルイ=ジャン=デジレ・デレストル『発展的線描完全講義』[7]を翻訳した『図学教程』、オーギュスト=ルイ=エドワード・ブイヨン『線遠近法諸原理』[8]を参照した石丸三七郎『泰西絵原写景法附図』[9]、アントワーヌ・アミオ『幾何諸要素』[10]を翻訳した『算学講本』等、エコール・デ・ボザール関係者の著書が多用されており、学内で唯一の同校出身者だったゲリノーの影響が考えられる[1]。
日本滞在中に描いた日本建築の図版には日光の寺社が多く含まれており、1877年(明治10年)8月頃顧問団の一人ルイ・クレットマンの日光旅行に同行したとも考えられる[1]。
帰国
[編集]1880年(明治13年)6月30日契約期間を終えて帰国し、パリで活動した[1]。1881年第98回フランス芸術家協会展覧会に「日本建築研究」[11]を出品して建築部門2等賞を受賞したほか、1886年建築専門誌Revue générale de l'architecture et des travaux publicsに日本建築の図版を提供し、日本国外に初めて日本建築を構造的に紹介した[1]。Revueの記事はオーギュスト・ショワジー『建築史』[12]でも参照されている[1]。
1886年チリホーン岬に渡り、ロタ市ロタ公園内の施設等を手がけた[1]。1929年死去した[3]。
主な作品
[編集]建築
[編集]- Palacio Cousiño-Goyenechea – Isidora Goyenecheaの依頼でEduardo Fehrmannから設計を引き継ぎ、1898年竣工。1960年チリ地震で被災し、解体された[13]。
図画
[編集]- 「日本之寺図」 - Revue1886年号掲載[14]。日光・芝の寺社図版に基づくイメージ図[1]。
- 「日光山内小寺」 - Revue1887年号掲載[15]。日光二荒山神社摂社朋友神社の図[1]。
- Seigneurs admirant le mont Fuji au dessus de la baie d'Edo – 1874年から1880年頃制作。ギメ東洋美術館所蔵[16]。
- Le Ministre de la Droite et celui de la Gauche – 1874年から1880年頃制作。ギメ東洋美術館所蔵[17]。
- Le Sanctuaire de Toshogu à Nikko : la terrasse des salles du trésor – 1880年頃制作。ギメ東洋美術館所蔵[18]。
- 「九段招魂社」 - 東京国立博物館所蔵[19]。
- Villa Pury (à Neuchâtel Suisse) – 1878年(明治11年)頃制作。個人蔵[20]。
- 男性像 – 1878年(明治11年)頃制作。個人蔵[20]。
著作
[編集]家族
[編集]- 父:Urbain Édouard Guérineau(1814年4月4日 - 1878年2月28日) - ヴェルサイユ宮殿キュレーター[22]。
- 母:Jeanne Louise Laure Justine Féraud(1820年7月14日 - ?) - パリ出身[23]。
- 妹:Laurence Denise Guérineau(1842年6月1日 – 1929年1月30日)[24]
- 妻:ルイーズ・セレスティーヌ・ゴルジュラ[25] – 1874年1月15日結婚[26]。1875年(明治8年)末頃から重病を患い、寒気や歩行困難が生じている[27][28]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 林 2015.
- ^ “L'ARCHITECTURE POLYCHRÔME AU JAPON: Colonne et traverse du Temple de Tsousenndji”. Revue générale de l'architecture et des travaux publics (César Daly) 43. (1886) .
- ^ a b DALBIEZ, Dominique. “Abel Jean Louis GUÉRINEAU”. Geneanet. 2018年8月8日閲覧。
- ^ 「仏国人建築教師ゲリノー氏当局へ御雇の儀に付届」 アジア歴史資料センター Ref.C04026459100
- ^ 「建築教師ゲリノー氏傭入条約更に取居達」 アジア歴史資料センター Ref.C04026459300
- ^ Alexandre Le Béalle: Cours théorique et pratique de dessin linéaire lavis et ornement 参照 @Gallica
- ^ Louis Jean Désiré Delaistre: Cours complet de dessin linéaire gradué et progressif 参照 @Gallica
- ^ Auguste Louis Édouard Bouillon: Principes de perspective linéaire
- ^ 『写景法解説 : 泰西絵原. 付図』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ Antoine Amiot: Éléments de géométrie 参照 @Gallica
- ^ Etude sur l’architecture japonaise
- ^ Histoire de l'architecture Tome 1 参照 @Gallica
- ^ Muñoz, María Dolores; Sanhueza, Rodrigo (2017). “El Parque Isidora Cousiño de Lota: Su importancia como patrimonio histórico y lugar significativo para la memoria colectiva y construcción de identidad.”. Revista AUS (Universidad Austral de Chile) (21) .
- ^ “GRAND TEMPLE JAPONAIS: Vue a vol d'oiseau”. Revue générale de l'architecture et des travaux publics (César Daly) 43. (1886) .
- ^ “L'ARCHITECTURE AU JAPON: Temple rustique Bouddhiste à Nikko”. Revue générale de l'architecture et des travaux publics (César Daly) 44. (1887) .
- ^ “Seigneurs admirant le mont Fuji au dessus de la baie d'Edo”. RMN-Grand Palais. 2018年8月8日閲覧。
- ^ “Le Ministre de la Droite et celui de la Gauche”. RMN-Grand Palais. 2018年8月8日閲覧。
- ^ “Le Sanctuaire de Toshogu à Nikko : la terrasse des salles du trésor”. RMN-Grand Palais. 2018年8月8日閲覧。
- ^ “九段招魂社”. ColBase 国立博物館所蔵品統合検索システム. 国立文化財機構. 2018年8月8日閲覧。
- ^ a b 『特別展「浮世絵から写真へ ―視覚の文明開化―」』東京都江戸東京博物館、2015年10月 。
- ^ Ornements japonais 参照 @Gallica
- ^ DALBIEZ, Dominique. “Urbain Édouard GUÉRINEAU”. Geneanet. 2018年8月8日閲覧。
- ^ DALBIEZ, Dominique. “Jeanne Louise Laure Justine FÉRAUD”. Geneanet. 2018年8月8日閲覧。
- ^ DALBIEZ, Dominique. “Laurence Denise GUÉRINEAU”. Geneanet. 2018年8月8日閲覧。
- ^ Louise Célestine Gorgerat
- ^ [https://www.siv.archives-nationales.culture.gouv.fr/siv/rechercheconsultation/consultation/ir/pdfIR.action?irId=FRAN_IR_043400 Minutes et répertoires du notaire Eugène Philippe MICHELEZ, 20 novembre 1873 - 27 avril 1891 (étude CXIV)]. Répertoire numérique détaillé. (2013-6-18)
- ^ 「1よりケソノー氏家屋敷物御備付伺」 アジア歴史資料センター Ref.C04027165600
- ^ 「ケリメー氏居宅の事」 アジア歴史資料センター Ref.C04027247100
参考文献
[編集]- 林要次「お雇いフランス人建築家アベル・ゲリノーの日本経験 陸軍士官学校とフランス建築教育機関の接点」『日本建築学会計画系論文集』第80巻第709号、日本建築学会、2015年3月。