アブドゥル・サラム・ハナフィー
マウラウィー アブドゥル・サラム・ハナフィー عبدالسلام حنفی | |
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アフガニスタン第二副首相 | |
就任 2021年9月7日 | |
最高指導者 | ハイバトゥラー・アクンザダ |
個人情報 | |
生誕 | 1969年(54 - 55歳) アフガニスタン王国・ジョウズジャーン州ダルザーブ郡 |
宗教 | イスラム教スンナ派ハナフィー学派デオバンド派 |
アブドゥル・サラム・ハナフィー(パシュトー語: パシュトー語: عبدالسلام حنفي、ウズベク語・ダリー語: عبدالسلام حنفی、Abdul Salam Hanafi)は、アフガニスタンの第二副首相[1]。アフガニスタン内の少数民族ウズベク人のターリバーン指導者。
経歴
[編集]1969年、ジョウズジャーン州ダルザーブ郡Gardan村に生まれ、クーシュ・テパ郡で初等教育を修了した[2][1]。
ソ連侵攻によってアフガニスタン内戦が始まってからも、村で勉強を続けていた[2]。サーレポル州とファーリヤーブ州のさまざまな地区のウラマーから神学を学んだ[2]。
その後、より教育が発展しているパキスタンに旅行し、カラチの神学校で1993年までハディースの研究を続けた[2]。神学以外にもコンピューターや会計に関する教育を受けた[2]。3年間、カーブル大学の法学部と政治学部でイスラム文化を教えていた。
1994年、ターリバーンのイスラム運動がカンダハールで始まったとき、ハナフィは教師だった[2]。ハナフィ―は彼の学生やウラマー、ファーリヤーブ州の宗教学生(ターリバーン)と共にターリバーンのイスラム運動に加わった[2]。
第一次ターリバーン政権ではオマル師の命令によりファラー州の教育局長、教育副大臣を歴任した[2][1]。
米軍侵攻によって始まったアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)では、ジョウズジャーン州知事に任命され同州におけるジハードを担当していた。紛争の最中、ハナフィーは指導者評議会(ラフバリ・シューラ)の一員に選ばれた[2][1]。
アフガニスタン和平交渉においては、アフガニスタン・イスラム首長国の対外窓口であるカタールのドーハに位置する政治事務所の副長官となった[2]。