アブドゥルファッターハ・アブドッラフマーン・ブルハーン
アブドゥルファッターハ・アブドッラフマーン・ブルハーン عبد الفتاح عبد الرحمن برهان | |
任期 | 2019年8月20日 – 2021年10月25日 2021年11月11日 – 現職 |
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副議長 | モハメド・ハムダン・ダガロ マリク・アクァレ |
首相 | アブダッラー・ハムドゥーク |
任期 | 2021年10月25日 – 2021年11月11日 |
任期 | 2019年4月12日 – 2019年8月20日 |
副議長 | カマル・アブドゥル・マルーフ・アル=マヒ モハメド・ハムダン・ダガロ |
出生 | 1960年7月11日(64歳) スーダン ナイル川州クァンダトゥ |
政党 | 無所属 |
出身校 | スーダン陸軍士官学校 |
配偶者 | ファティマ・スレイマン[1] |
子女 | 3人 |
宗教 | イスラム教 |
軍歴 | |
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所属組織 | スーダン陸軍 |
最終階級 | 中将[2] |
戦闘 |
第二次スーダン内戦 ダルフール紛争 |
アブドゥルファッターハ・アブドッラフマーン・アル=ブルハーン(アラビア語: عبد الفتاح عبد الرحمن البرهان, ラテン文字転写: Abdel Fattah Abdelrahman al-Burhan, 1960年7月11日[2] - )は、スーダンの軍人、政治家。階級は中将。
2019年4月にアフメド・アワド・イブンオウフの後任として暫定軍事評議会議長に就任し、同年8月に国家元首にあたる主権評議会議長に就任[3][4]。10月25日に再度クーデターを起こして暫定政権と主権評議会を解散させ、11月11日には自らを長とする新たな主権評議会を組織した。
来歴
[編集]2018年に発生した抗議運動(スーダン革命)でデモ参加者の声に耳を傾けるなど、スーダンの将軍のなかでは清廉な人柄とされる[5]。しかし、暫定軍事評議会議長就任後は、反政府抗議運動の徹底的な弾圧や、インターネットの遮断を行っている。特に2018年6月3日には、平和的にデモ行進していた大勢の人々が、警察部隊や民兵に殺害され、40人前後の遺体がナイル川に投げ入れられたほか、数百人がハルツーム市街で拷問、傷害、強姦された[6][7]。
2019年5月には初めての外遊としてエジプトを訪問し、大統領のアブドルファッターフ・アッ=シーシーと会談した[8]。2回目の外遊先はアラブ首長国連邦であった[9]。
2019年のクーデター後は合議制の主権評議会という形で権力の一翼を担ったが、議長職が文民に渡る2021年11月を前にアブダッラー・ハムドゥーク首相との関係は次第に悪化。2021年10月14日にブルハーンはハムドゥーク首相に辞任を要求したが、ハムドゥークはこれを拒否[10]。25日朝に軍部はハムドゥークの自宅を包囲し軟禁下に置いたほか、政権側の要人の身柄も次々に拘束した[11]。ブルハーンは国営放送スーダンテレビを通じてハムドゥーク暫定政権の打倒と、自らが議長を務める主権評議会の解散を宣言。また全土に非常事態宣言を発令したほか、選挙を2023年7月に実施することも合わせて発表し、国家運営能力のある民選政権への移行に軍部が責任を持つとした(2021年10月スーダンクーデター)[12]。11月11日、自らを長とした新たな主権評議会を組織。14人のメンバーから成るが、民主化勢力の自由・変革同盟は排除された[13]。しかし10日後の11月21日に各政治勢力、社会市民組織との間でハムドゥークを首相に復職させるほか、全ての政治犯を釈放することで合意した[14]。2022年1月2日、ハムドゥークが治安部隊によるデモ弾圧などに抗議する形で首相を辞任すると表明[15]。ブルハーンは1月19日にオスマン・フセイン閣僚評議会書記長に首相を兼任させた[16]。
しかし文民勢力の大半は軍との交渉を拒否し、即座に文民政権を作るよう要求。軍政に反対するデモが頻発する事態となり国際連合やアフリカ連合(AU)、東アジア8カ国で構成する地域グループ『政府間開発機構』が調停に乗り出す事態となった。2022年6月4日、ブルハーンは国連主導の政治危機対話から軍が抜けることを発表したほか、文民各勢力と反政府グループに暫定政権樹立の協議を促す声明を発表。新政権が樹立されれば主権評議会は解散し、軍の最高評議会が樹立され国の治安や防衛を担うとも発表した[17][18]。
人物
[編集]スーダンの軍事学校で学び、エジプトやヨルダンに留学した経験もある。妻とのあいだに3子がいる[2]。
脚注
[編集]- ^ スーダンの軍事評議会議長アブドゥルファッターハ・アル=ブルハーンとは?(アラビア語)
- ^ a b c “Sudan's Burhan, from relative unknown to regional player”. France24. (3 June 2019)
- ^ “Sudan's Ibn Auf steps down as head of military council”. Al Jazeera. 13 April 2019閲覧。
- ^ “Sudan coup leader Awad Ibn Auf steps down”. BBC (12 April 2019). 13 April 2019閲覧。
- ^ “Sudan coup leader steps down after a day”. BBC (13 April 2019). 14 April 2019閲覧。
- ^ “'Bodies pulled from Nile' after Sudan crackdown” (英語). (2019年6月5日) 2019年6月5日閲覧。
- ^ “Sudan military offers talks after allegedly killing 100 protesters” (英語). www.cbsnews.com. 2019年6月5日閲覧。
- ^ “Sudan interim military council chief Al-Burhan meets with Egypt’s President El-Sisi”. Arab News. (25 May 2019)
- ^ “Sudan military council chief to visit UAE”. Alarabiya. (26 May 2019)
- ^ “Soudan: le Premier ministre Abdalla Hamdok refuse de se plier à la demande des militaires”. ラジオ・フランス・アンテルナショナル. (2021年10月15日) 2021年10月16日閲覧。
- ^ “スーダン首相、自宅軟禁の状態に─匿名筋=TV”. ロイター. (2021年10月25日) 2021年10月25日閲覧。
- ^ “スーダン軍が政権掌握、非常事態を宣言 抗議デモ隊に死者も”. ロイター. (2021年10月26日) 2021年10月26日閲覧。
- ^ “Sudan's army chief appoints new ruling council, led by himself”. ロイター. (2021年11月12日) 2021年11月12日閲覧。
- ^ “Sudan military to reinstate PM Hamdok in new deal: Mediators”. Al Jazeera English. アルジャジーラ. (2021年11月21日) 2021年11月22日閲覧。
- ^ “スーダン、復職首相が辞任 ハムドク氏、デモ弾圧に抗議”. 東京新聞. (2022年1月3日) 2022年1月3日閲覧。
- ^ “Sudan’s Burhan forms caretaker government”. Sudan Tribune. (2022年1月20日) 2022年1月31日閲覧。
- ^ “スーダン軍、国連主導の危機解決対話には参加せず=クーデター幹部”. ロイター. (2022年7月5日) 2022年7月5日閲覧。
- ^ “軍最高司令官、スーダンの政治協議から離脱を表明”. Arab News. (2022年7月5日) 2022年7月5日閲覧。