コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

オガデン戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アフリカの角戦争から転送)
オガデン戦争

オガデンで戦うエチオピア軍に参加したキューバの軍事顧問団。写真はキューバの砲兵である。
戦争:オガデン戦争[1]
年月日1977年5月6月1978年3月[1]
場所:エチオピア、オガデン地域[1]
結果:エチオピア側の勝利。オガデンを奪還しソマリア軍は撤退[1]
交戦勢力
社会主義エチオピア
 キューバ
南イエメンの旗 南イエメン

支援国
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
イスラエルの旗 イスラエル
東ドイツの旗 東ドイツ
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮

ソマリアの旗 ソマリア
西ソマリア解放戦線英語版

支援国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
サウジアラビアの旗 サウジアラビア
 エジプト
イランの旗 イラン
イラクの旗 イラク

指導者・指揮官
エチオピアの旗 メンギスツ・ハイレ・マリアム
エチオピアの旗 タスファレ・ゲブレ・キダン英語版
キューバの旗 アルナルド・オチョア
ソビエト連邦の旗 ヴァシーリー・ペトローフ
ソマリアの旗 モハメド・シアド・バーレ
ソマリアの旗 モハメド・アリ・サマター
ソマリアの旗 モハメッド・ファッラ・アイディード
ソマリアの旗 アブドゥラヒ・アフメド・イロ英語版
ソマリアの旗 アブドゥラヒ・ユスフ
戦力
エチオピア軍50,000人
キューバ軍11,000人
ソ連軍1,500人[2]
ソマリア軍70,000人
作戦機40機
戦車250両
装甲車350両
火砲600門[3]
損害
エチオピア軍6,000人戦死
キューバ軍400人戦死
南イエメン軍100人戦死[4]
ソマリア軍60,000人戦死[5]
冷戦

オガデン戦争(オガデンせんそう、Ogaden War、ソマリ語: Dagaal Ogaadeen アムハラ語: የኦጋዴን ጦርነት)は、1977年から1988年にかけてエチオピアソマリアの間で起こった戦争オガデン紛争(オガデンふんそう)、起こった場所の通称からアフリカの角戦争(アフリカのつのせんそう)とも呼ぶ。

概要

[編集]
大ソマリア主義による大ソマリアの範囲

ソマリアの主な民族であるソマリ族は、ソマリアの他にケニア東部、エチオピアオガデンジブチに居住している。ソマリアでモハメド・シアド・バーレが台頭すると、これら全てを統合した民族国家を建設しようとする大ソマリア主義を呼びかけた。

特にソマリアに支援されたエチオピア領内のソマリ解放運動(フランス語: Front de libération Somali Abo)は1977年に激化の一途をたどった。同年8月にはエチオピアとソマリアとの間に紛争が発生し始め、11月には運動によるオガデン地方分離独立の危機も発生した。エチオピア軍はソマリ解放運動への支援を絶つためソマリアとの直接対決を決意、1978年2月に開戦した。

エチオピアは1974年クーデターによって皇帝ハイレ・セラシエ1世を廃位し社会主義を宣言、以来ソビエト連邦との友好関係を築いてきた。

開戦当初、ソ連は双方の側に立って仲介を試みたが失敗。1978年11月に両国は友好協力条約を調印し、ソ連はエチオピアに対し武装船団による大々的な支援を行い、ソマリアへの援助を停止した。また、キューバは1万5千人の兵力を派遣してエチオピアを支援し、南イエメン北朝鮮東ドイツも軍事訓練の面などでエチオピアを援助した。

これに対し、ソマリアをアメリカ合衆国エジプトサウジアラビアなどの親米反共アラブ諸国サファリ・クラブ英語版)が支援したため、オガデン戦争は冷戦代理戦争の様相を呈した。また、一方で中ソ論争でソ連と対立していた中華人民共和国からも軍事援助を受け[6][7]チャウシェスクの下で独自路線を展開していたルーマニアはソマリア側についた。ソマリアはこの戦争でエチオピア側に付いたソ連とキューバの軍事顧問団を追放して東側諸国と断交し、共産圏ではソ連と敵対していた中国とルーマニアのみ国交を維持した[8]

戦争の推移

[編集]

エチオピアの資料によると1977年7月13日午前3時、ソマリア軍の兵士7万人、航空機40機、戦車250両、装甲兵員輸送車350両、火砲600門が国境を越えてエチオピアに侵攻した。この戦力は当時ソマリアが保有していたほぼすべての兵力だと考えられている。7月末にはソマリアはオガデン州の60パーセントを掌握していたが、エチオピア空軍が、ソマリア軍のMiG-21戦闘機よりも少数であったF-5戦闘機により反撃に成功し、制空権を奪還した。

その後戦争は長期化し、1983年7月にはエチオピア軍がソマリア領内に侵攻したため、ソマリアは大きな痛手を蒙った。しかし、冷戦が和らぐにつれ、米ソの影響によって関係修復に向かい、またソマリアが内戦に陥って弱体化、大ソマリア主義も沈静化したため、1988年に両国は停戦合意した。

影響

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d オガデン戦争”. コトバンク. 2023年6月7日閲覧。
  2. ^ Somalia The Ogaden War: Performance and Implications of Defeat”. geographic.org (2010年11月4日). 2023年6月7日閲覧。
  3. ^ ソマリア内戦”. special warfare net. 2023年6月7日閲覧。
  4. ^ The Ogaden War, 1977 – 1978”. armchair general (2015年3月10日). 2023年6月7日閲覧。
  5. ^ Ogaden War Producing Little but Refugees”. ニューヨーク・タイムズ (1979年11月18日). 2023年6月7日閲覧。
  6. ^ Arms Transfers Database”. ストックホルム国際平和研究所. 2018年6月27日閲覧。
  7. ^ Somalia - FOREIGN MILITARY ASSISTANCE - Country Data
  8. ^ Gorman, Robert F. (1981). Political Conflict on the Horn of Africa. Westport, CT: Praeger. ISBN 978-0-030-59471-7. p.208

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]