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アフマド・ラーホーリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タージ・マハル霊廟複合の主要部の平面プラン
タージ・マハル廟の基礎

アフマド・ラーホーリーウルドゥー語: استاد احمد لاهوری‎, ラテン文字転写: Ustād Aḥmad Lahawrī)は、アーグラタージ・マハル廟の建設を監督した建築家であることが有力視される人物[1][2][3][4]

生涯

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アフマド・ラーホーリー、より詳しくはアハマド・ミーマール,アル=ラーハウリー(احمد معمار اللاهوري‎: ラーホール出身の建築家アフマド)あるいはウスタード・アハマド,アル=ラーハウリー(استاد احمد لاهوری‎: ラーホールのアフマド師)は、詩人で技術者のルトフッラー・ムハンディス(لطف الله مهندس بن احمد معمار‎)の父親である[2][5]。なお、ルトフッラーの息子で、同じく詩人で Muntakhab khulāṣat al-ḥisāb という著作があるイマームッディーン・ラーホーリーは孫にあたる[6]

ルトフッラー・ムハンディスによると、アフマド・ラーホーリーは、ラーホールで1580年に生まれ、1649年に亡くなった。バダフシャーンからヒンドゥースターンに移住してきた家系の生まれである。1630年代に始まったタージ・マハル廟や、シャージャハーナーバード(デリー)のラール・キルア(赤い城)の建築にたずさわった[2]

タージ・マハル廟を設計した建築家

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バダフシャーン地方の位置

ムガル帝国シャー・ジャハーンが亡后のために建てたタージ・マハル廟の設計者について、シャー・ジャハーン時代の出来事を伝える同時代資料は、何も書いていない[2]。そのため設計者については諸説あり、たとえば、ミール・アブドゥルカリームとする説もある[2]

シャー・ジャハーン時代の同時代資料は、ムハンマドアミーン・カズウィーニーとアブドゥルハーミド・ラーホーリー英語版、それぞれの年代記が知られている[7]。アブドゥルハーミド・ラーホーリーは、シャー・ジャハーンがみずから建設事業にのめりこんでいたことを強調する[8]。アブドゥルハーミド・ラーホーリーによると、シャー・ジャハーンは豪華な建築物を新しく建てることに対して、他のムガル帝国のシャーたち以上に興味を示し、毎日のように建築家や設計者と話し合いをした[8]。そして「熟練建築家がよく考えたうえで設計の変更を申し出れば、シャーはそれを高く評価し、的確な質問を返した」と記す[8]

ウスタード・アフマド・ラーホーリーは、そうしたシャー・ジャハーンの宮廷お抱えの建築家のひとりであった[2]マーンドゥーにある碑文によるとアフマド・ラーホーリーはデリーの赤い城の設計者のひとりである[2]。また、後世の詩人のルトフッラー・ムハンディスの作品中の言及によれば、アフマドはタージ・マハル廟の建設工程を監督したという(前述のとおり、ルトフッラーはアフマドの息子)[2][5]。21世紀現在では、アフマド・ラーホーリーが「おそらく、タージ・マハル廟の設計者であろう」とされている(例えば、ユネスコ[9]や『ブリタニカ国際大百科事典』[1][10]

出典

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  1. ^ a b "Taj Mahal". Encyclopaedia Britannica Online. 13 March 2020. 2020年4月23日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h Rezavi, Syed Ali Nadeem (2012). “BUILDERS OF THE TAJ: EVIDENCE OF THE STONE-CUTTER'S MARKS.”. Proceedings of the Indian History Congress 73: 408–415. JSTOR 44156231. 
  3. ^ Hugh Honour, John Fleming (2005). A World History of Art. Laurence King Publishing. p. 541. ISBN 978-1856694513. "a Persian who later ...." 
  4. ^ Janin, Hunt (2006). The Pursuit of Learning in the Islamic World, 610-2003. p. 124. ISBN 978-0786429042. https://books.google.co.uk/books?id=KTWDxDEY-Q0C&pg=PA124&dq=Ahmad+Lahori+Indian%7CPersian&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwiD-PWv373MAhUFKB4KHZ7bDxgQ6AEIJjAC#v=onepage&q=Ahmad%20Lahori%20Indian%7CPersian&f=false 3 May 2016閲覧。 
  5. ^ a b Asher, p.212
  6. ^ "Person-Lāhawrī". Union Catalogue of Manuscripts from the Islamicate World (Fihrist.org). 2020年5月8日閲覧
  7. ^ Begley, Wayne (March 1979). “The myth of the Taj-Mahal and a new theory of its symbolic meaning”. Art Bulletin (The Art Bulletin, Vol. 61, No. 1) 61 (1): 7–37. doi:10.2307/3049862. JSTOR 3049862. 
  8. ^ a b c Koch, Ebba (2006) [Aug 2006]. The Complete Taj Mahal: And the Riverfront Gardens of Agra (Hardback) (First ed.). Thames & Hudson Ltd. pp. 288 pages. ISBN 0-500-34209-1. https://archive.org/details/completetajmahal0000koch/page/288 
  9. ^ UNESCO advisory body evaluation, Ahmad Lahori, architect of the emperor, Retrieved 9 May 2016
  10. ^ Begley, Wayne E.; Desai, Z.A. (1989) [1989]. Taj Mahal - The Illumined Tomb (Hardback). University of Washington Press. pp. 392. ISBN 978-0-295-96944-2  p.65

参考文献

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