コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アピチャートポン・ウィーラセータクン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アピチャートポン・ウィーラセータクン
อภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล
อภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล
2010年撮影
生年月日 (1970-07-16) 1970年7月16日(54歳)
出生地 バンコク
国籍 タイ王国の旗 タイ
職業 映画監督
脚本家
映画プロデューサー
活動期間 1993年 - 現在
主な作品
『ブリスフリー・ユアーズ』
『トロピカル・マラディ』
『世紀の光』
ブンミおじさんの森
『光りの墓』
MEMORIA メモリア
受賞
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
2010年ブンミおじさんの森
審査員賞
2004年『トロピカル・マラディ』
2021年MEMORIA メモリア
「ある視点」賞
2002年『ブリスフリー・ユアーズ』
その他の賞
東京フィルメックス
最優秀作品賞

2002年『ブリスフリー・ユアーズ』
2004年『トロピカル・マラディ』
テッサロニキ国際映画祭
最優秀作品賞
2002年『ブリスフリー・ユアーズ』
アジア・フィルム・アワード
作品賞

2010年ブンミおじさんの森
テンプレートを表示

アピチャートポン・ウィーラセータクンอภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล, Apichatpong Weerasethakul, 1970年7月16日 - )は、タイ映画監督映画プロデューサー脚本家美術家多摩美術大学特任教授[1]チェンマイを拠点に映画やビデオ映像、写真を制作する。愛称は、ジョー (Joe)[2]

経歴

[編集]

1970年7月16日タイバンコクに生まれる。両親は医者で、コーンケン県の病院で働いていた[3]1993年短編映画『Bullet(原題)』で監督デビュー。

1994年コーンケン大学で建築学士号を取得、1997年、留学先のシカゴ美術館附属美術大学で美術・映画製作の修士号を取得。

1999年、映画製作会社キック・ザ・マシーンを設立。2000年、初の長編映画『真昼の不思議な物体』を発表。

2002年、『ブリスフリー・ユアーズ』が第55回カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、同部門のグランプリを受賞した。 また、第3回東京フィルメックスでも最優秀作品賞を受賞している。

2004年、『トロピカル・マラディ』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、審査員賞を受賞。第5回東京フィルメックスで2作連続となる最優秀作品賞を受賞した。また、カイエ・デュ・シネマの2004年の映画トップ10の第1位に選出されている。

2006年、『世紀の光』が第63回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品された。

2010年、『ブンミおじさんの森』が第63回カンヌ国際映画祭タイ映画史上初めてとなるパルム・ドール(最高賞)を受賞。審査員長のティム・バートンは「我々は映画にサプライズを求めている。この映画はそのサプライズを多くの人々にもたらした」と語った。(のち、アレクシス・ヴェレル監督のドキュメンタリー映画『カンヌ 伝説が生まれる街』に出演した際、パルム・ドール受賞後にタイに帰国した際、タイ国内で非難の声が多かったと、語った)

2011年、母校のシカゴ美術館附属美術大学より名誉博士号を授与。

2012年、『メコン・ホテル』が第65回カンヌ国際映画祭のスペシャル・スクリーニングで上映され、第13回東京フィルメックスでも特別招待作品として上映された。

2013年、第24回福岡アジア文化賞芸術・文化賞を受賞[4]

2020年多摩美術大学特任教授。

2021年ティルダ・スウィントンを主演に迎えた自身初の英語作品『MEMORIA メモリア』が第74回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、審査員賞を受賞した。

作風

[編集]

日本の研究者、中村紀彦によると、「映画は、アピチャッポンを構成する一要素に過ぎ」ないという。京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAの開館5 周年記念展アピチャッポン・ウィーラセタクン個展 -PHOTOPHOBIA-(企画:徳山拓一[5] を観客として訪れた中村は、「東北タイという凄惨な歴史が埋れる土地で、彼(=アピチャートポン)は映画だけでなくインスタレーションやMVや写真まで制作することで、はじめて複雑かつ広大なネットワークをつくりあげた」結果、「異次元の複雑さ」で観客を惹きつけるとしている[6]

主な監督作品

[編集]
  • 真昼の不思議な物体 ดอกฟ้าในมือมาร/Mysterious Object at Noon (2000年)
  • ブリスフリー・ユアーズ สุดเสน่หา/Blissfully Yours (2002年)
  • アイアン・プッシーの大冒険 หัวใจทรนง/The Adventure of Iron Pussy (2003年)*共同監督マイケル・シャオワナーサイ
  • トロピカル・マラディ สัตว์ประหลาด/Tropical Malady (2004年)
  • 世紀の光 แสงศตวรรษ/Syndromes and a Century (2006年、日本公開は2016年[7]
  • ブンミおじさんの森 ลุงบุญมีระลึกชาติ/Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives (2010年)
  • メコンホテル Mekong Hotel (2012年)
  • 光りの墓 รักที่ขอนแก่น Rak Ti Khon Kaen/Cemetery of Splendour(2015年、日本公開は2016年[7]
  • MEMORIA メモリア Memoria(2021年)

主な収蔵先

[編集]

和名問題

[編集]

アピチャートポン・ウィーラセータクンについては、日本語のカタカナ表記が乱立した。美術作品のエージェントであるトモ・スズキ・ジャパン(東京)によると、2007年に来日した際、本人の同意を得て「アピチャッポン・ウィーラセタクン」で統一作業を行っていると主張している。しかし、日本人の名前と同様、タイ人の名前は意味ある語彙の集合によって形成されるため、アピチャート(อภิชาติ「高貴な血筋」)、ポン(พงศ์「子孫」)とすでに確立された日本語表記がある[8]。また、「アピチャッポン・ウィーラセタクン」では短母音と長母音の表記が混同されて使用されており、表記上の不備が多い。そのため、国際交流基金東京外国語大学等では、「アピチャートポン・ウィーラセータクン」の名称が使用されている[9]。ただ、国際交流基金は、2009年に開催した上映会「国際交流基金アジア映画ベストセレクション」以降、展覧会の後援も含め、アピチャッポン・ウィーラセタクンと表記している。また、『ブンミおじさんの森』を配給したシネマライズ、『世紀の光』と『光りの墓』を配給したムヴィオラトモ・スズキ・ジャパンと同じ立場をとり、アピチャッポン・ウィーラセタクンと表記する旨は、2018年イメージフォーラムで開催の「映画・美術・舞台〜様々な角度からアピチャッポンについて語る」クロストークイベントで明言されている[10]。その壇上に立った「東京フィルメックス」ディレクターも大勢の中で本人の発音を聞いて、アピチャッポン・ウィーラセタクンという日本語表記が当人の発音に最も近い、と合意した事実を伝えた。

脚注

[編集]

関連文献

[編集]

外部リンク

[編集]