アピエス
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種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒351-0101 埼玉県和光市白子1-22-7 |
設立 |
1974年7月10日 (アイ・ピー・エム株式会社) |
業種 | その他製品 |
法人番号 | 1030001048984 |
事業内容 | コインオペレーション電子機器のレンタル・販売等 |
代表者 | 代表取締役社長 小口満夫 |
資本金 | 2000万円 |
関係する人物 | 辻本憲三(創業者) |
外部リンク | http://apies.jimdo.com/ |
株式会社アピエスは、埼玉県和光市に本社を置く、アミューズメント機器のレンタル・販売を行う企業である。1974年にアイ・ピー・エム株式会社として辻本憲三(後のカプコン会長)によって設立された後、1979年にアイレム株式会社、1998年に株式会社アピエスとなる。
歴史
[編集]アイ・ピー・エム株式会社[注 1]として設立された当初はメダルゲームやフリッパーなどのアーケードゲーム機のリースを駄菓子屋やパン屋などへ行っていた[1]。その後コンピュータゲーム事業へ参入する。
1979年7月1日から社名をアイレム[注 2]に名称を変更した[2]。理由はアイ・ピー・エムの社名はIBMから「名前が紛らわしい」との手紙が届いたためである[3]。なお変更当時の報道では業容拡大を理由にしていた[2]。
1997年にコンピュータゲーム事業はアイレムソフトウェアエンジニアリングに譲渡したが、アミューズメントベンダー事業は残されたため、以降は占い機や千社札販売機などのアミューズメントベンダーが主力商品となっている。
2018年時点、おみくじの自動販売機では国内シェア約80%というトップメーカーであり[4]女子道社の撤退以降は日本国内唯一の製造販売企業である[5]。
かつてはアミューズメント施設運営も行っていたが、撤退している。
沿革
[編集]- 1969年7月 - 創業[1]。(社名:アイ・ピー・エム商会、創業者:辻本憲三、創業地:大阪府)
- 1974年7月10日 - アイ・ピー・エム(IPM)株式会社設立[1]。
- 1977年 - 「ブロックくずし」のブームに伴い、石川県の七尾電機と生産提携[注 3]。
- 1979年7月1日 - 社名をアイレム株式会社に変更[2]。
- 1980年2月 - 七尾電機を子会社化したナナオ(現・EIZO)によってアイレム子会社化[6]。
- 1982年12月15日 - ナナオの社長である高嶋哲がアイレム社長を兼任、辻本は代表権のない会長に就任[7]。
- 1983年 - 辻本が会長を退任。
- 1985年 - ゲーム開発部門及び販売部門をアイレム販売株式会社に分社。1989年再合併。
- この頃 ダイエーがナナオから株式の半数を取得し、ダイエー傘下となるも、後に経営不振に伴い、全株式がナナオに売却され、再びナナオ傘下に。
- 1994年 - ゲーム開発から撤退、開発部門をナナオのある石川県へ移転[注 4]。
- 1996年 - 『ぐっすんぱらだいす』でゲーム開発に復帰。
- 1997年6月 - アイレムソフトウエアエンジニアリング株式会社にゲーム開発部門を譲渡[6]した後、ナナオからユウビスに売却され、ユウビス傘下に。
- 1998年 - 社名を株式会社アピエスに変更。
- 1999年 - 前年よりユウビスに資本参加していたアトラス(旧社)に買収される。
- 2001年 - アトラス(旧社)が全株式を、当時のアピエス社長(元アトラス社員)にMBO方式で売却。売却額は1000円。
発売したゲーム作品
[編集]→アーケードゲームについては「アーケードゲームのタイトル一覧 § アイレム」を参照
家庭用ゲーム
[編集]ファミコン用カセットには本体の電源の入り切り確認のための発光ダイオードが取り付けられていた[8]。
- きね子
- スペランカー
- スクーン
- 魔鐘
- 麻雀家族
- 妖怪屋敷
- ガーディック外伝 - 開発はコンパイル。
- ナポレオン戦記
- 西村京太郎 ブルートレイン殺人事件
- 西村京太郎 スーパーエクスプレス殺人事件
- 激写ボーイ
- 不如帰
- ホーリー・ダイヴァー
- メジャーリーグ
- 激突四駆バトル
- 神仙伝 - 同名の中国の物語が元ねた。
- パーマン
- 重力装甲メタルストーム
- 愛先生のO・SHI・E・TEわたしの星
- ダイナウォーズ
- ニトロパンクス・マイトヘッズ
- イメージファイトII
- R-TYPE III
- ソル・モナージュ - PCエンジン最終作。幻のソフトと呼ばれ、1年後NECより名作限定版が出た。
- 太陽の勇者ファイバード - サンライズ製作のテレビアニメ・勇者シリーズ第2作目のゲーム版。ゲームボーイとファミリーコンピュータで発売。尚、アイレムは本放送時にスポンサーとして参加していた。
- ぐっすんぱらだいす
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 「街角にも健全娯楽 辻本憲三氏(アイピーエム(株))にそのシステムを聞く」『ゲームマシン』(PDF)、第70号、アミューズメント通信社、1977年4月15日、4-5面。2024年9月3日閲覧。
- ^ a b c d 「7月からアイレム アイピーエムが社名変更」『ゲームマシン』(PDF)、第121号、アミューズメント通信社、1979年6月15日、6面。2020年5月6日閲覧。
- ^ 「人生の贈り物-私の半生-」『朝日新聞』朝日新聞社、2016年8月12日、夕刊、3面。
- ^ “和光の日本一|出没!アド街ック天国”. テレビ東京. 2020年5月15日閲覧。
- ^ 「そうだったのか!レトロな「からくりおみくじ自販機」誕生秘話」『エキサイトニュース』2016年11月28日。2020年5月15日閲覧。
- ^ a b “沿革”. EIZO. 2024年9月27日閲覧。
- ^ 「アイレムの社長交代 高嶋氏が社長に 高堂専務が代表代行、辻本氏は会長に」『ゲームマシン』(PDF)、第204号、アミューズメント通信社、1982年1月1日、11面。2024年9月24日閲覧。
- ^ 「ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃」『4Gamer.net』2012年7月23日。2020年5月15日閲覧。