アバーン・ブン・マルワーン
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アバーン・ブン・マルワーン | |
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任期 不明 | |
個人情報 | |
配偶者 | ザイナブ・ビント・アブドゥッラフマーン |
親戚 | |
親 |
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アブー・ウスマーン・アバーン・ブン・マルワーン・ブン・アル=ハカム(アラビア語: أبو عثمان أبان بن مروان بن الحكم, ラテン文字転写: Abū ʿUthmān Abān b. Marwān b. al-Ḥakam, 生没年不詳)は、ウマイヤ朝の王族であり、ウマイヤ朝の統治下でパレスチナの総督を務めた人物である。
経歴
[編集]アバーンはウマイヤ朝のカリフのマルワーン1世(在位:684年 - 685年)と第3代正統カリフのウスマーン・ブン・アッファーン(在位:644年 - 656年)の娘であるウンム・アバーン・アル=クブラーの間に生まれた[1]。アバーンの異母兄弟にあたるアブドゥルマリク(在位:685年 - 705年)は、在任期間は不明であるものの、アバーンをパレスチナ(ジュンド・フィラスティーン)の総督とダマスクス(ジュンド・ディマシュク)の管轄下にあるバルカーの総督に任命した[2][3]。歴史家のモシェ・ギルによれば、アバーンは後にジュンド・アル=ウルドゥンの総督に任命された[4]。イラクと東部諸州の総督としてウマイヤ朝における最も影響力のある人物の一人であったアル=ハッジャージュ・ブン・ユースフは、アバーンのシュルタ(治安部隊)でその経歴を開始した[3]。アバーンはマフズーム家出身の軍司令官であるアル=ハーリス・ブン・ヒシャームの孫娘のザイナブ・ビント・アブドゥッラフマーンと結婚した[5]。ザイナブはアバーンの子供たちを産んだが、史料において子供たちの名前の記録はみられない[5]。
出典
[編集]- ^ Donner 2014, p. 110.
- ^ Northedge & Bennett 1992, p. 168.
- ^ a b Crone 1980, p. 124.
- ^ Gil 1997, p. 115.
- ^ a b Robinson 2020, p. 142.
参考文献
[編集]- Crone, Patricia (1980). Slaves on Horses: The Evolution of the Islamic Polity. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 0-521-52940-9
- Donner, Fred (2014). “Was Marwan ibn al-Hakam the First "Real" Muslim”. In Savant, Sarah Bowen; de Felipe, Helena. Genealogy and Knowledge in Muslim Societies: Understanding the Past. Edinburgh University Press. ISBN 978-0-7486-4497-1
- Gil, Moshe (1997). A History of Palestine, 634–1099. Translated by Ethel Broido. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 0-521-59984-9
- Northedge, Alastair; Bennett, Crystal M. (1992). Studies on Roman and Islamic ʻAmmān: History, Site and Architecture, Vol. 1. British Institute in Amman for Archaeology and History
- Robinson, Majied (2020). Marriage in the Tribe of Muhammad: A Statistical Study of Early Arabic Genealogical Literature. Berlin: Walter de Gruyter. ISBN 9783110624168