コンテンツにスキップ

アドルフ・フィッシャー (美術収集家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アドルフ・フィッシャー
生誕 1856年5月4日
オーストリア、ウィーン
死没 (1914-04-13) 1914年4月13日(57歳没)
イタリア、メラーノ
職業 美術史家
テンプレートを表示
第二次世界大戦以前のケルン市立東洋美術館
現在のケルン市立東洋美術館の館内

アドルフ・フィッシャー(Adolf Fischer、1856年5月4日 - 1914年4月13日)は、オーストリア生まれの美術収集家である。日本の美術品を収集し、ドイツのケルン市立東洋美術館の設立に貢献した。

略歴

[編集]

ウィーンで有力な実業家の3人の男兄弟と3人の姉妹のうちの次男に生まれた。スイスのチューリッヒで教育を受け両親の会社のひとつで商売の訓練を受けるが、両親の希望とは異なり、ウィーンの宮廷俳優のJoseph Lewinskyのもとで俳優の修行を始めた[1]ベルリン国立劇場と契約し、その後1883年にケーニヒスベルクの市民劇場の監督になるが、1886年にはその仕事を辞め、1887年にはアメリカに渡り、公演旅行をして俳優を辞めた[2][3]

しばらくイタリアに住んでイタリア美術を学んだ後、各地を旅した。ミュンヘンベルリンに住み、1892年の7月末から世界一周の旅をし[4]、初めて日本を訪れた[1]。1896年からベルリンで美術の民間研究者として研究を続け、東洋で購入した美術品をベルリンの中心Nollendorfplatz近くの住まいで展示した。民俗学の研究もした。18歳年下で、会社経営者の娘フリーダ(Frieda Bartdorff: 1874-1945)と知り合い、1897年に結婚した。新婚旅行でウィーン、アフマダーバード、香港、台湾、日本を訪れ、1899年にベルリンに戻った。

新たにフィッシャー夫妻が入手した美術品は、1900年初めに開かれた第6回ウィーン分離派展で展示された。1901年にフィッシャー夫妻は美術品を展示した住まいを手放し、コレクションをベルリンの民族学博物館に移した。1901年、夫婦は再びアジアを旅した。 1904年から1907年まで北京のドイツ大使館で雇われ、ドイツの美術館のために美術品を収集する仕事をし、1905年2月から上海の総領事館に、11月から北京の大使館に勤務し、この間、日本にも旅した。自らのコレクションのために美術品を入手することも許されていた[5][1] 。1907年9月まで中国に滞在した。

1902年以来、フィッシャー夫妻は東洋美術のための美術館の設立を構想し、はじめキール市と交渉し1908年からキール市の体育館に作品の保存が可能になったが、キール市が博物館を建設する資金が無かったことから1909年にキール市との契約を打ち切り、1909年にケルン市が博物館の建設の資金を提供し、フィッシャー夫妻に終身職員として雇用するという条件で約900点の展示品と膨大な蔵書をケルン市に寄贈するという契約が成立し[1]、1913年から新しいケルン市立東洋美術館の建設が始まり、1914年に開館したが数か月後にアドルフ・フィッシャーは亡くなり、妻のフリーダが館長を引き継いだ。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d museenkoeln.de: Aufbruch in eine neue Zeit: Die Gründung des Museums für Ostasiatische Kunst in Köln (Memento vom 23. Juli 2016 im Internet Archive), abgerufen am 23. Juli 2016
  2. ^ Ostasiatische Zeitschrift. Band 3, Oesterheld & Company 1915, S. 104
  3. ^ Werther (eigentl. Fischer), Adolf, in: Wilhelm Kosch: Deutsches Theater-Lexikon. 6: Weisbrod – Wolansky. De Gruyter, Zürich 2008, ISBN 978-3-908255-46-8, S. 3270
  4. ^ ancestry.de: Adolf Werther-Fischer in Hamburger Passagierlisten, 1850–1934, abgerufen am 23. Juli 2016
  5. ^ Eduard Prüssen (Linolschnitte), Werner Schäfke und Günter Henne (Texte): Kölner Köpfe. 1. Auflage. Univ.- und Stadtbibliothek, Köln 2010, ISBN 978-3-931596-53-8, S. 92.

参考文献

[編集]
  • Paul Duschner: Vom Sammeln und Ausstellen ostasiatischer Kunst: das Beispiel des Ehepaars Adolf und Frieda Fischer. In: Paderborner Historische Mitteilungen, Jg. 32 (2019), S. 116–136.
  • Maria Keipert (Hrsg.), Gerhard Keiper, Martin Kröger (Bearb.): Biographisches Handbuch des Auswärtigen Dienstes 1871–1945. Herausgegeben vom Auswärtigen Amt. Band 3: L – R. Schönigh Verlag, Paderborn 2008, ISBN 978-3-506-71842-6, S. 563.
  • Peter Pantzer: Der muntere Museumsgründer. 100 Jahre Kölner Museum für Ostasiatische Kunst, Adolf Fischer und seine Wiener Wurzeln. In: Ostasiatische Zeitschrift, Jg. 18 (2009), S. 53–66.
  • Adele Schlombs: Aufbruch in eine neue Zeit. Die Gründung des Museums für Ostasiatische Kunst in Köln. Köln 2009.
  • Ulrich Wiesner: Museum für Ostasiatische Kunst Köln. Zum 75jährigen Jubiläum des Museums. Köln 1984.
  • Alfred Hagelstange: Adolf Fischer †. Nachruf. In: Der Cicerone: Halbmonatsschrift für die Interessen des Kunstforschers & Sammlers. Nr. 6/1914, 1914, S. 293, doi:10.11588/diglit.26375.