アドルフ・イェンゼン
アドルフ・イェンゼン Adolf Jensen | |
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基本情報 | |
生誕 |
1837年1月12日 プロイセン王国、ケーニヒスベルク |
出身地 | プロイセン王国 |
死没 |
1879年1月23日(42歳没) ドイツ帝国、バーデン・バーデン |
職業 |
作曲家、ピアニスト 音楽教育者 |
アドルフ・イェンゼン(Adolf Jensen, 1837年1月12日 ケーニヒスベルク - 1879年1月23日 バーデン=バーデン)は、ドイツの作曲家、ピアニスト、音楽教育者。主に歌曲(176曲ある)とピアノ曲を作曲した。イェンゼンのピアノ曲は、19世紀に人気のあったロマンティックなサロン音楽であった。
生涯
[編集]1837年にケーニヒスベルクに生まれる。最初は独学で自らの楽才を見出す。1852年にベルリンで、ルイス・エーレルトとフリードリヒ・ヴィルヘルム・マールプルクに師事。フランツ・リストに注目され、有能なピアニストとして指導を受ける。研修期間を終えると、まずは1856年に音楽教師としてロシアに赴き、次いで1857年にポーゼン市立劇場の楽長に就任するが、その後さらに2年間コペンハーゲンでニルス・ゲーゼに師事。1858年にケーニヒスベルクに戻ると、たちまち地元で作曲家や教師として名を揚げた。1866年にベルリンに行き、カール・タウジヒの「上級ピアノ演奏学校」のピアノ教授に任用される。1868年までかの地で教え、その後はドレスデンへ、1870年にはグラーツへ転居した。
最晩年の4年間はバーデンバーデンに過ごし、同地で友人ヨハネス・ブラームスと定期的に接触を取った。1879年1月23日に重篤な肺病のため死去。
作品
[編集]イェンゼンは徹底して詩的な音楽センスによって、生前にロベルト・シューマンの後継者と目された。無数の作品はロマンティックな感情に満ち溢れ、作品は繊細さゆえに、しばしば極端に走ることがなく、時折り「サロン的なもの」に近付いている。
イェンゼンはいくつかの連作歌曲(とりわけ《聖母哀傷(Dolorosa)》《学生歌(Gaudeamus)》《スペイン歌曲集(Das spanische Liederbuch)》など)を作曲した。しかしながら最も重要な作品群はとりわけピアノ曲であろう。ここに特記すべきピアノ曲として、《内なる声(Innere Stimmen)》《華麗なる円舞曲(Valse brillante)》《幻想小曲集(Fantasiestücke)》《ロマンティックな練習曲 (Romantische Studien)》《25の練習曲(25 Etüden)》《子守歌(Berceuse)》《旅の絵(Wanderbilder)》《即興曲 (Impromptus)》《ピアノ・ソナタ 嬰ヘ短調(Sonate fis-Moll)》《想い出(Erinnerungen)》《エロティコン(Erotikon)》《謝肉祭の光景(Scènes carnavalesques)》がある。他に、4手ピアノのための作品もある。
外部リンク
[編集]- アドルフ・イェンゼンの著作およびアドルフ・イェンゼンを主題とする文献 - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。
- Ausführliche Biografie Adolf Jensen
- Der "Erbe Schumanns in der Liedkomposition" (Artikel zum 125. Todestag)
- Adolf Jensenの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト