アドリーヌ・オッペンハイム・ギマール
アドリーヌ・オッペンハイム・ギマール | |
---|---|
Adeline Oppenheim Guimard | |
ギマール夫妻 | |
生誕 |
1872年10月1日 ニューヨーク |
死没 |
1965年10月26日 (93歳没) ニューヨーク |
アドリーヌ・オッペンハイム・ギマール(Adeline Oppenheim Guimard、1872年10月1日 – 1965年10月26日)[1]は、アメリカ生まれの画家である。肖像画などを描いた。フランスのアール・ヌーヴォー様式を代表する建築家のエクトール・ギマールの配偶者であった。
略歴
[編集]ニューヨークで生まれた。父親のエドワード・L・オッペンハイム(Edouard L. Oppenheim: 1841–1911)は、1857年にベルギーからアメリカ合衆国に移住し、金融家として成功した人物である[2]。家族としばしばフランスを訪れ、アドリーヌ・オッペンハイムはフランスで、アルベール・メニャン(1845-1908)らから絵を学んだ。1899年にパリのフランス国民美術協会の展覧会に出展し[2]、1905年にイギリスで出版されたウォルター・ショー・スパローの「Women Painters of the World」にアドリーヌ・オッペンハイムの作品「Romeo and Juliet」が収録された [3]。
1909年にすでにアール・ヌーヴォーの芸術家として注目されたいたエクトール・ギマール(1867–1942)と知り合い、結婚した。その年、ギマール自身が、建物や家具を設計したギマール邸(Hôtel Guimard)をパリ16区のモーツァルト (モザール) 通りに建築しそこに住んだ。
1938年にユダヤ系アメリカ人であるアドリーヌは、ナチスの脅威を恐れて夫とニューヨークに移り、ヘクター・ギマールは1942年にニューヨークで亡くなった。アドリーヌは数年をかけて夫の作品を収集し、さまざまな美術館や公共機関に寄贈した。
アドリーヌ・オッペンハイム・ギマールは1965年にニューヨークで亡くなった。夫とともにニューヨーク州のオレンジタウンに埋葬されている。
参考文献
[編集]- ^ Montamat, Bruno (French). Adeline Oppenheim Guimard 1872-1965 artiste et mécène 12 February 2020閲覧。.
- ^ a b Marriage à la Mode @ The Magazine Antiques、2025年1月4日閲覧。
- ^ Women painters of the world, from the time of Caterina Vigri, 1413-1463, to Rosa Bonheur and the present day, by Walter Shaw Sparrow, The Art and Life Library, Hodder & Stoughton, 27 Paternoster Row, London, 1905