アデライード・ド・ヴァロワ
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アデライード・ド・ヴァロワ Adélaïde de Valois | |
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出生 |
11世紀 |
配偶者 | ヴェルマンドワ伯エルベール4世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | ヴェクサン家 |
父親 | ヴァロワ伯ラウル4世 |
母親 | アデル・ド・バール=シュル=オーブ |
アデライード・ド・ヴァロワ(Adélaïde de Valois, 11世紀)は、ヴァロワ伯ラウル4世とアデル・ド・バール=シュル=オーブの娘[1]。
生涯
[編集]ヴェルマンドワ伯エルベール4世(1028年 - 1080年)と結婚し、以下の子女をもうけた。
- アデライード(1062年頃 - 1120年) - ヴェルマンドワ女伯。フランス王アンリ1世の息子ユーグ1世と結婚、クレルモン伯ルノー2世と再婚
- ウード1世(1064年頃 - 1085年以降) - ヴェルマンドワ伯、精神疾患により廃位。
1077年に兄弟シモンがヴァロワ伯領を放棄したため、その領地はフランス王フィリップ1世、アミアン司教およびアデライードの夫エルベール4世の間で分割され、エルベール4世はヴァロワおよびアミアンを手に入れた。
アデライードが後にブロワ伯ティボー3世と結婚したともされるが、これはアデライードの姉妹アデルと混同されたためである[2]。エルベール4世の没年は1080年であり、アデライードがティボー3世と結婚するのは不可能である。
脚注
[編集]- ^ Bautier 1985, p. 554.
- ^ “NORTHERN FRANCE - VALOIS, VERMANDOIS”. fmg.ac. 2020年8月22日閲覧。.
参考文献
[編集]- Bautier, Robert-Henri (1985). “Anne de Kiev, Reine de France, et la Politique Royale au XIe Siècle: Étude Critique de la Documentation” (フランス語). Revue des Études Slaves 57 (4): 539–564. doi:10.3406/slave.1985.5520.